ポンペイ、2000年後に北京でお目見え

子ども時代から一度は見てみたいところでした。
いつかイタリアを訪れて、この目で見てみたいと思っていますが、
とりあえず、北京での『厖貝末日』の展示会に行ってきました。


もしも、紀元79年夏のポンペイを生きるさだめはあなたを選んでしまったとすれば、
どうすればよいでしょうか。
“只有选择永恒,再无其他选择”。
こういうことしかないようです。


2000年前の高温で燃やされた跡がそのままの形で見られ、苦しみにもがいていた時の姿勢も2000年間保ち続けてきました。死ぬ前の苦しみは伝えてきますが、不思議と健在していた頃のポンペイの町から特に憂いを感じません。奴隷制度のあった5000人ほどの町のようでしたが、絢爛な金貨や豪奢なアクセサリー、顔の筋肉と衣装の襞までリアルに掘られていた精美な彫刻、ちょっとした日用品にまで工夫されているデザイン…
また、人間性を圧迫するほどの強烈な宗教雰囲気も特に感じることなく、裕福で、生の欲望と美への弛まない追求心に満たされていた町のようでした。



折りしも、ミラノで中国人居住民と地元警察との衝突事件が起き、メディアで大きく取り上げられています。しかし、大部分の中国にいる中国人にとって、こういうことが起きたことを意識することなく、私のようにイタリアに対して、子ども時代以来の憧れを膨らませ続けていると思います。互いを見る目はこのようにして、少しずつずれが生じて来るようです。