蓉城成都

1600キロ。2時間20分の空の旅。
空の大地の広いこと。しかし、これだけの距離が離れていても、
あの大地震の振動は北京で体感できた。
どれだけ激しい揺れだったのか想像できません。


一年ぶりの成都。乗っていたのは、四川航空とCAとのコードシェア便
珍しいことに、スチュワーデスは紺色のズボンにスニーカー姿でした。
「いつからこのユニフォームになったの?」
「カジュアルウェアは土日のみです」
なるほど。



成都の町は変わりはありません。
地震で物理的な被害を受けたというよりは、
人々の心理に落とした暗い影があるようです。
空港から市内までの20キロほどの道のり。
運転手さんは40代半ばの男性。
ざっくばらんに話を聞いてみました。


地震の話題について触れたくはない。
 悲しい過ぎるからだ。
 子どもたちがたくさん死んだことが悲しい。
 都江堰に行く度に、JuYuan中学を通る。
 その度にテレビの画面がよみがえる…」


運転手さんは努めて共通語で話してくれたので、
分かりやすくて助かりました。


地震が起きた時、私は運転中だった。
 乗っていたお客さんは唐山からの2人連れだった。
 突然、地面揺れだして、車体が左右に震えだした。
 わけが分からなかった。
 唐山のお客さんたちは驚いた。
 『ここにも地震が起きるのですか』と聞いてきた。
 大地震の経験者の彼らは、すぐさま地震が起きたと分かった。
 『揺れ具合から見ると、大きな地震じゃないようだ』と言った。
 それが後で唐山よりも大きな地震だったと知って、驚いた。」


心のよりどころのなさそうな運転手さんの横顔を眺めながら、
来た道中、飛行機の中でちらっと見た新聞の見出しを思いました。


地震震后心理疾病 成都人重于汶川北川】
http://scnews.newssc.org/system/2008/11/16/011284061.shtml


専門家は、地震半年後は、心的外傷後ストレス障害PTSD)の多発時期で、
今の四川には少なくとも、40万人がこれに悩まされているといいます。


成都の町は相変わらずのんきである
 マージャンが好きな人が多いようで、いたるところに麻雀机が見えました。
 旅行代理店、軽食など夜遅くまでオープンしているところが多い。
 白人系の外国人もたくさん見かけました。
 



夜は文殊坊近くの軽食チェーン店・龍抄手の小吃Aセット28元だった