四川の旅:成都→都江堰

成都→都江堰→映秀鎮の廃墟
  →漁子渓村→遭難者墓地
  →Xuan口中学の地震廃墟、プレハブの映秀鎮
  →都江堰→成都
のルートで、
成都から大地震の断層方向に従って、
ほんの90キロほど奥のところに行かせていただきました。
瓦礫のままになっている映秀鎮の廃墟を指差して、
「今も埋まったままの人がいるのよ」と地元の方が言います。
亡くなったすべての方のご冥福をお祈りいたします。合掌


成都の西三環路附近にある茶店子バスターミナルからバスに乗った。
映秀までは90キロと書いてあり、地震前にはバスが走っていたことが分かった。


成都→都江堰へ

↑都江堰行き高速道。11月1日から料金制度が回復したため、
一般道に車両が流れ、高速は比較的空いていた。
電光掲示板には、「映秀から(シ文)川への道は10月1日から
交通規制がかかっている。
奇数の日は行きで、偶数の日は帰りとしている」と書いていた。



↑大型トラックが比較的多く走っていた。
かなり遠い省のナンバーも見られ、越冬物資じゃないかと思う。



成都のタクシー運転手は、
「都江堰に行く度に経過するので、心が痛くなる」といった聚源への出口。



↑聚源中学校では、生徒の多くが瓦礫の下敷きになった…



↑全国各大都市や省と被災地の行政区画と1対1で援助活動
(「対口合作」)を実施している。
感謝の言葉を述べている横断幕が時たま目に入る。



↑都江堰が近づくにつれ、連ねる連峰が見えてきた。
臨席の地元の方、黄さんは、山の名前は「趙公山」と教えてくれた。



↑「一日あたりのローンはわずか35元!」
前から成都人は消費熱心で、マイカーの保有率が高いと聞いていた。
都江堰市に入る入り口でこの看板を見かけた。かわいい車だった。


↑都江堰市のシンボル・李氷父子の彫刻。都江堰水利プロジェクトは大地震に耐え抜いた!




↑都江堰市に入ると、凄まじい地震の痕跡が残っていた。
長距離バス停に入る前に、こうした建物の前を通過した。



この車で移動することになった↓
運転手は28歳の蘭明さん。運転腕が上手で、親切な青年だった。


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■都江堰へ 

 成都から都江堰までは約50〜60キロ。高速バスの場合、16元、一時間ほどでアクセスできる。
 高速道路は広々としていて、車が少なかった。11月1日から高速料金が有料になったため、車はこれまでよりは少ないと運転手は言う。両側の景色や住宅はとくに変わった様子はなかった。
 ところどころ、援助に感謝し、再建に頑張ろうという内容の赤い横断幕や屋外看板が見られた。
 道中、「Ju源」行きの看板が見られた。校舎の倒壊で数多くの生徒が犠牲になった中学・高校の所在地で、温首相も救援現場で陣頭指揮していたほどだった。
 ふっと眺めれば、遠くにうっすらと山の稜線が見えてきた。「趙公山です」。隣の方が教えてくれた。
都江堰市が近づくにつれ、高速道路の道路脇の畑の中に、プレハブ住宅の密集したエリアが見えてきた。
 「亜細亜」という奇妙な地名の場所を過ぎれば(どうやらこのあたりの団地の名前のようだ)、市内がかなり近くなってきた。破壊されたままの住宅が見えてきた。ビルの外観はきれいそうに見えるが、大きな穴が開いていたり、壁が倒壊したり、看板も崩れたままになっている建物がところどころで見られる。バスターミナルという繁華街の付近にも多く見かけた。
 大通りには瓦礫の山は見当たらず、すでに清掃されている。ただ、膨大な数の倒壊住宅が取り壊さなければならないことを考えると、まだ厳しい作業が待っていると想像できる。
 補強工事で済ませる住宅は取り壊さず、補強工事を始めたところもあった。
 ここでは、地震で受けた被害は日常の風景になっている。地元市民は毎日、これらの廃墟と対面しながら、暮らしをしなければならない。どれだけ大きなプレッシャーを感じるのだろうか。
 


■この人に出会う■

 高速バスで、私の隣に座っていたのは都江堰市郊外に住んでいる黄暁麗さん(40代半ば)。明るくて、おしゃべりが好きな方だ。ただ、四川方言に強くない私は、一部聞き取れなかったところもあり、残念だった。
 「地震が怖いかって?そんな、『地震とは何ぞや』すら知らなかったもの。しかし、あっという間に、数多くの人が死に、それも凄まじい色んな形で死んでいたことが恐ろしかった。」
 5月12日。記憶のこの日は、蒸し暑い日だった。黄さんの友人が成都から戻ってきたので、皆でマージャンすることになった。集まる場所は市内にある友人の家。友人の家の玄関前に集まってマージャンをしだした。突然、パイが踊りだして、崩れ始めた。負けるかもしれないと思った人が、わざと起こしたいたずらかと最初は思った。
 しかし、見る見る、回りの家屋が崩れ始めた。
 隣の家から、昼寝から目覚めたばかりのような若い夫婦が逃げ出してきた。男はパンツ一枚、女はブラジャーと下着のみだった。大通りに大勢の人が集まっていることを見て、女性は皆に見られるのが恥ずかしいと思ったようで、家の壁に顔を伏して、皆と視線を合わさないようにしていた。その時のことだった。女性が寄りかかっていた壁自体が危うくなり、ついに崩れて倒壊した。重さはすべて女性の方向に圧し掛かり、あっという間に女性は瓦礫の下敷きになった…
 「せっかく一緒に外まで逃げ出せたのに」、旦那は涙がとどまらなかったようです。