文学部ならぬ、ただの教授?



地下鉄积水潭駅をでれば、立体駐輪場の取り付けに作業員が
せっせと働いていました。
北京は今日から一気に9度も気温が下がりました。


学生時代の指導教官が中国の大学と交流するために、
京都からお見えになりました。
北京で再会するのは本当に久しぶりのことなので、
先生は気を使ってくださり、中国側主催の歓迎パーティに私の席を
追加してもらうよう頼んでくださいました。
お陰で、久しぶりに大学の先生たちばかりの席に加えさせてもらうことができました。


ところで、「大学」というと、
今年の中国では、様々な理不尽な事件が起きた場所として注目されています。
博士学位取得寸前の女子学生の自殺や
本科生が教授の刺し殺すという事件などです。


新聞では「人道主義教育を強化せよ」(命を大事にせよ)、
「新しい師弟関係の再構築」などといった論調が見られ、
「なるほど」と頷いたこともあります。
しかし、その後、たまたま大学関係者の友人と
雑談するチャンスがありました。
「結局のところ、学生は学生らしくなくなり、
 教師は教師らしくなった状況が長く続いたからだ」、
と、意外に厳しい口調でした。
新聞記事で書かれていたような高尚な論調では、
片付けられない大学の現状があるのかなと察しました。


さて、本日の話に戻りましょう。
同席の先生方がジョーク交じりで語られた話の中から
対聯の形でキャンパスで流行っている言葉を初めて知りました。
某超一流大学が発祥地だと言われています。


(男生)——爱党爱国爱师妹
(女生)——防火防盗防师兄
(横批)——防不胜防


师妹とは女性の後輩。师兄とは男性の先輩。
そして、
「私の嫁になりたくない学生は良い学生でない」という意味の言葉も?


「この精神はすでにわが校にも伝わってきた」、
と、同じテーブルの3人の先生がおっしゃいます。
お三方とも相次いで、きれいな教え子や後輩と結婚し、
「この精神の実践者」だと自ら告白?されていました。
冗談まじりとは言いながらも、今の
大学のありのままの一面が映し出されているようです。
何でもざっくばらんに語り合った歓迎会、
それはそれで良い交流になったのではとも思います。


モダンなガラス張りのビルが聳えるキャンパス。
四つ星ホテルと少しも遜色のない豪華な学内ホテルのレストラン。
もはや今の中国の大学は、「象牙の塔」のイメージはどこも見当たりません。


■大学の改革か社会の改革か■


午後、教育がテーマのシンポを興味深く聞かせてもらいました。
日本の大学に対する私の認識がすっかり古くなってしまいました。
お陰様で、少しは更新できました。
教養学部の廃止と大学院拡充は、
それぞれ社会の発展と変化が背景になっていたのですね。


「大事なのは人間の作り方。
 物質的な豊かさで人間の成功を測らない価値観が、
 社会で共有されるようにする。社会全体の価値観の見直しが必要だ。
 これは永遠に達成することのできない理想像かもしれない。
 教育とは常に理想を求める過程にあるもの」


教育の改革は単にそれ自身のことだけでなく、
社会全体のあり方と深くかかわっているというT先生のご指摘を
興味深く拝聴しました。