合格しました!!教習所の実地試験+10数年前の北京の教習所

地獄のような教習所通いの日々は、これでやっと終わりました。
めでたしめでたし。
試験自体は5分もしなかったですが、教習所サイドの構えがすごかったです。
試験を受ける人は、当日、7時まで教習所に集合して、
そこから送迎バスに乗り継いで、さらに郊外へ10キロ走る
試験場(実地)に向かいます。


到着してから延々と講義が始まり、
漫才師のような教官が様々な人の失敗談を引き合いにして、
緊張する必要はないのよ、しかし、しっかり運転せよねと様々な角度から
説教が始まります。
説教が延々と2時間以上も続き、所々面白い表現や物まねを入れて、
笑いが起きたりもします。
春節が間近だし、教官も良い気持ちで春節を迎えたいだろうし、
 皆さんにも良い気持ちで帰ってもらいたいと思う」
                         …うんぬん…

私は昨日もあまり寝る時間がなかったため、聞きながら、爆睡していました。

説教が2時間続いた後、突然講堂のガラスが外から開けられ、
「良いニュースだ!!今日は『小圏』で試験するのだ!皆さん、
 ラッキーですよ!」と興奮した表情で知らせを告げた制服姿の人がいました。
「小圏」とは赤信号や学校のエリアに行かないで、実地試験の半分しか
使わないで試験をするということです。


その後休憩をはさみ、質疑応答が続き、
その後やっと教習所の車に乗せてもらい、
実地を走ってみることができました。
こんな感じで、準備作業は12時まで続きました。
試験は午後2時からスタートし、
乗る時間は5分もない。


車線変更にターンをして、そして、道端で車を泊めれば
試験が終了です。
初めて一般車両も走っている道路でほんの少し運転ができたので、
少し興奮していました。
練習中、うまくターンできなかったり、速度のコントロールが難しかったですが、
無事試験終了しました。


これで5日後、免許が入手できる予定。
朝、5時半起きにさよなら!めでたしめでたし。


ちなみに、親身になって学習者の試験の結果を気にしているわけは、
教習所の合格率が学校の評判につながっていることだそうです。
また、「桩考」と「内地試験」の時、もし合格できなかった場合、
つまずいた動作を指導してくれた教官を調べ、
その人のボーナスを一回につき50元を差し引く制度があるようです。


実地試験の周り↓


■ところで、夕べ、「明日は実地試験なのよ」、
 その一言で友達が十数年前の教習所の話を教えてくれました。
 まるで信じられない光景でした。
 ざっと言うとこんな感じのようです。


▲時間は1996年。学費は3600元
    ⇔2007年、3300元。
 物価上昇のことを考え、当時、かなり高かった出費のようです。
▲しかし、当時、皆習っていたのは「小貨」(小型トラック)でした。
    ⇔現在、W社の「SANTANA」という3ボックスの自家用車が主流(小客)。
 当時の考えは、つまり、せっかく学ぶなら、
 小さな自家用車というよりは、大型トラックでも運転できるようにしましょう、
 そうでないと、損をすることだそうです。
 この考え、理解できません。
 必要に応じて車種を選べば良い話なのに。
 
▲教官との付き合い方
 1996年では、教官と生徒は普通の人間関係ではなかったようです。
 学費のほか、感謝の品を送ることが普通のようです。
 タバコや食事に誘うことが普通のようですが、
 友人のところでは、なんと、「魔法瓶を贈ること」だったそうです。
 (思い出せば、10数年前の生活では、魔法瓶が不可欠な存在でした。
  しかし、今、我が家には魔法瓶が一個もない。なくても暮らせるようになったから
 です。昔では、飲むお湯を入れたり、顔や行水をするためのお湯を汲みに行く時、
  いずれも魔法瓶に頼っていました)


 友人いわく、「先日、真新しい魔法瓶を贈ったばかりなのに、
 また魔法瓶がないと言い出す。結局のところ、生徒から送られてきた
 魔法瓶を自宅に持ち帰り、家族に渡す。
 その家族がまたもらった真新しい魔法瓶を売店に出して、
 換金していた。それで、魔法瓶だけが何度も買われ売られたりしていたようだった」


 ⇔私が通っていたところは、学ぶ人の時間に合わせて随時予約できるコースなので、
  まず、同じ先生にずっと教えてもらうことはありません。
 (今も、速成クラスだと同じ教官です)
  それから、「学習者からタバコの一本も受け取ってはならない」ことが
  校則に書かれています。
 「すべての学習者に満足していただけるサービス」がモットーでもあります。
 まったくこういうところで心配する必要がありません。


面白かったのは、贈り物が行き届かなかった人に対して、
教官が指導を怠ったり、練習中、猛烈にブレーキを踏んだりするようです。
トラックなので、学習者の胸は猛ブレーキでハンドルの反動を受け、
ずいぶん痛むようです。おまけに、後部座席のベンチに座って待機している
仲間たちもドミノ倒しのようにコロンでしますようです…


私ど同年代の友人は今も、こういう話をすると、
不平が聞こえそうです。わずか十数年で、
北京の教習所は天地を覆す変化をしたようです。



↑教習所に行く道中、眠たいバスの中でいつも眺めていた
 おかしい建物です。
 看板を見ればデパートのようです…