広島のかずえちゃん

ネット対話生中継の日。
最終台本の出来上がりを待っている中、
午後、思わぬ小さなお客さんが訪れてくれました。


広島からのかずえちゃん、5歳。
声がたいへん大きく、
オフィス中に響き渡っているほど、元気の良い子です。
お父さんは広島、お母さんはオルドスのモンゴル族
おばはモンゴル部にいる私の同僚、レンチンシャオさん。
一ヶ月ほど前、
ホロンバイルの少年少女合唱団のコンサートを見に行った時、
ばったり出会い、偶然にお友達になりました。


「お仕事の邪魔になってごめんなさい。
 明日、広島に戻るので、どうしてもあなたに会いたくて」。
レンチンシャオさんは申し訳なさそうに言いました。


かずえちゃんは記憶力の抜群な子です。
一回しか会っていなかったのに、
ずっと覚えていてくれたようで、嬉しいです。
そして、大人よりもしっかりしているところがあり、驚きです。


今回、母親と二人で北京を訪れ、
一ヶ月以上も滞在したのは、わけがあります。
それは、5歳の子どもにとっては、残酷としか言えない出来事でした。
父親の死です。
今年の年頭、お父さんは心臓発作で、職場でなくなりました。


やっと一段落ついた母親は、
夏に、気分転換に姐のいる北京を訪れました。
かずえちゃんにとっては、初めての北京。
中国語が話せず、モンゴル語も存分に交流できなかった中、
初めて日本語が話せる人に出会ったのは、私だったので、
だから、ずっと覚えていてくれたと思います。


「かずえちゃんは、日本に帰った後、
 どんなつらいことがあっても、
 気にしないで頑張るんだよ」。
小さなお友達に別れの挨拶をしました。
その話を聞いて、かずえちゃんは足を止め、
真剣なまなざしで語り始め、
やっと誰かに言い聞かせたいことを聞かれたようでした。
「あのね、かずえちゃんは北京に来る前は、
 つらいことがあったの。
 お父さんが死んだの。
 かずえは最初は、死ぬことの意味が分かんなかったの。
 でも、お母さんは毎日、家で泣いてばかりしていたので、
 死ぬこととはこういうだったかが、分かった。
 けど、お母さんが泣いても、
 かずえちゃんは泣かなかったの。
 北京で元気になった。来て良かったと思う。
 もう大丈夫だよ」。


泣けてきそうな話でした。
5歳の子に、
何でこんなことを分かってもらわなくちゃいけないのか。
目が潤んでしまいました。
しかし、生きることって、
もともとこんなたいへんなことだったかもしれません。


声の大きいかずえちゃん、
けんかを恐れず、勝ち気のかずえちゃん、
北京でもらった元気を忘れずに、
広島で元気に頑張ってね。
必ず乗り越えられると思う。
お母さんもきっと元気になれると思う!