南京の痛み、70年後のCCTVの目

テレビをつけて、そのままながら族で、
流し台へ湯飲みを洗いにいきました。
と、ゆっくりした警鐘の音が響き出し、
気になり、テレビの傍に近寄ってみました。
見ると、CCTV−新聞の『新聞調査』という報道番組がスタートしました。
今週の題は《南京:記憶七十年》


記念館の館長や学者、虐殺の生存者などに話を伺い、
史実を振り返り、新たに落成した新館の陳列の紹介を織り交ぜながら、
歴史をどのように見ればよいのかを探る番組でした。
感心したところは、「軍国主義批判」よりも、
人間性」の構造に対する分析という視点が出てきたことでした。
終わりに近いところに出てきた地元の学者の言葉に深い共鳴を覚えました。


南京師範大学・張連紅さん:(要点)
  南京大虐殺は数字をめぐり、議論する政治的な問題ではなく、
  それよりも、人類が共通して直面する悲劇なのだ。


江蘇行政学院・楊夏鳴さん:(要点)

  大虐殺を研究する根本的な目的はどこにあるか。あるドイツ人との話で、
  大きな啓発を受けた。彼は、「人間には、特定の条件下で、特定の状況下で、
  南京での暴行やユダヤ人に対するホロコーストのような事件を起こす潜在的
  気質がある。これは日本人やドイツ人特有のものではなく、すべての人間に
  潜んでいる特質だ」と言った。
  人間がどのような状況、どのような制度や環境の下で
  文明の束縛から離脱するのか、これを研究することが私はとても大事だと思う。
  もしもとことんまでそれを研究し、そのメカニズムを究明できれば、
  つまり、人間を非人間にする環境を徹底的に
  取り除くことができれば、平和が守ることができるからだ。
  我々は記念館を建てたり、研究をする一番根本の目的は
  こういうところにあるのではないかと思う。


中国でこれまでにあまり見なかった見方だと思いました。
地元の方の口から言出だした言葉だっただけ、あり難く思っています。
70年はかかったが、やっと、
一歩離れたところからあの歴史的な事件を
歴史として見つめることができたと思いました。
このよう視点に立てば、
これまで以上に重い重責を感じるし、
人類共通の課題として取り組むことができるように思えました。


最後のナレーション:

「記念館を歩き出すと、昨日から歩き出したようだった。
 記念館は過去を保存するところだ。
 過去七十年の記憶は、
 南京の記憶であり、中国の記憶でもあり、日本の記憶、
 そして、人類の記憶でもあ る。
 もう一度太陽の照らす外に出て、
 大地に彫られた「平和」の文字が見えた。
 平和。
 この馴染み深いものは、
 実に失いやすいものでもあった。」


ナレーションの終了に伴い、
今はなき生存者の李秀英さんの言葉が字幕に出てきました。
记住历史,不要记住仇恨!
「歴史を覚えよう!恨みを覚えてはならぬ。」
じんと来るものがありました。
取材で2回ほどお会いした李秀英さん。
奥深い瞳で凝視されている表情が蘇ってきました。


番組の詳細は以下から見ていただけます。
http://news.cctv.com/china/20071213/107177.shtml
http://www.cctv.com/program/xwdc/01/index.shtml