日本首相の曲阜訪問、中国メディアの目

二通りの見方が出ています。
個人的には、後者のほうに納得しています。


12月31日付けの『新京報』では、
「文化共同性で中日関係の全面的な発展を促そう」と題した社説が掲載されました。
対して、それに異論を唱える形で、
1月3日付けの『中国青年報』の【氷点時評】では
「むやみに『文化共同性』を論じてはならぬ」という文章が出されました。

前者では、
福田首相は在任期間中に曲阜と孔子廟を訪れた初の首相だ。
 並大抵でない苦心が凝らされていると思われる。
 氏は、中日両国人民に
 儒家文化は東アジアにいる両国にとって共通した精神遺産だ
 ということを伝えるために、孔子廟前に立ったのだ」と論じていました。
対して、後者は「グローバリゼーションが進んでいる今、
主導に立つ文化の規則は、市場や資本のロジックにマッチングするもので、
儒学及びその他の古代思想・宗教は、
主導的地位を占めることができないことは自明の理で、
むしろ、市場規則や資本のロジック及びそれに密接に関連している
科学、民主、法制、自由、人権でこそ、最大の文化共同性なのだ」と強調しました。


その上、「儒学が日本に伝わった後、独自の発展をとげ、
同じ儒学でも、多元的な中身があり、中日両国は互いに儒学の影響を受けたが、
それぞれ異なる発展の道を歩んだため、互いに学びあい、長所を補い合い、
共に発展していくことが求められている」と指摘しました。
また、「福田氏はおそらく、中国の文化や歴史に対する敬意をはらい、
また、両国の文化交流がいっそう盛んになっていくようという気持ちを込めて、
曲阜を訪問先にしたのではないか」と分析し、
さらに、「この点について、日本の新聞社各社の社説なども
すでに現している」と唱えています。


もちろん、後者の文章でも、
福田首相の曲阜訪問の象徴的意義を高く評価し、
福田氏の「政治的知恵を現した行動」だったと
高く評価しています。


友好的な姿勢の確認とムードの醸成はとても大事なことでありながら、
日本文化の独自性と異なる文化間の平等性の視点が、
同じく欠けてはならないように思います。
見る人により、解釈が異なり、曖昧模糊で含みのある行動は、
政治の精神に合致するものではないかと思います。
政治は「不可能を可能にする芸術だ」と言われていますので、
そういう意味から見れば、日本首相の今回の曲阜行きは
大成功だったと言えるではないでしょうか。


◆◆今日、オフィスでの一こま<自驾游Or指甲油?>◆◆

原稿を書いているHさんから:
「誰か教えてくれない?“自驾游”の日本語での言い方は?」
机をふたブロック隔てて座った熱心なWお姉さんからさっそく返事があがりました。
「マニキュアというのよ!」
「???」
その更に遠いところに座っている私は、
思わず辞書で調べてしまいました。
しかし、どうしても結果が結びつけず、おかしくたまりませんでした。
幸い、まもなくして、笑い声が湧き起こりました。
「あ〜、“指甲油”のことを聞いたのじゃなかったですね」
やれやれ、マニキュアはマイカーでの旅行の意味ではなくて、良かった良かった。


巻き舌と四声の違いで、意味がまったく違うのですね。
聞き間違えることは、中国人同士だってよくあることみたいです(^^)


◆◆友達のハリネズミさんから頼まれた短文の翻訳◆◆


《五つの自戒》
 一、つらいことが多いのは感謝を知らないからだ
 二、苦しいことが多いのは自分に甘えがあるからだ
 三、悲しいことが多いのは自分のことしかわからないからだ
 四、心配することが多いのは今を懸命に生きていないからだ
 五、行きづまりが多いのは自分が裸になれないからだ

ネットで調べて見たら、石川洋さんという方の言葉だったようですね。
仮訳は以下です。


人生为何多艰辛?只因缺少那份感恩之心
人生为何多苦难?只因内心对自己的纵容
人生为何多悲伤?只因视野中没有别人
人生为何多忧虑?只因不肯竭尽全力的一拼
人生为何多碰壁?只因不愿裸露真实的自身


もっと良い訳があると思います。ご指摘賜れば幸いです。