「社会」を生きる

北京は久しぶりに雪が降りました。
ぱらぱらと薄く白くなる程度の小雪でした。
ここ数日、本格的な寒さが襲来しました。
一番厚いブーツを履き、マフラも二重にしています。



夕方、日本人同僚のメイさんと食堂で一緒に食事をしながら、
四方山話をしました。
メイさんは元ジャーナリスト。退社後に直ちに中国での再就職を決定。
愚痴をこぼすことがきっかけで、
メイさんの口から、私が忘れて久しく、はっとさせたお話を聞くことができました。


「あなたたちはどれだけ恵まれているのか。
 局の門を出る度に、私はつくづくそう思う。
 安定した収入があり、快適なオフィスで働いて、
 有給休暇がもらえて、年に何度も職場からお土産をもらっている。
 出稼ぎに来ているその辺の女の子は、
 土日ろくに休めることもできずに働き、
 安月給に不満も言えない。
 この国で、恵まれない人たちが数多くいるのに、
 あなたたちは、その人たちの存在を忘れたようで…
 あなたたちは自分たちの責任を自覚しているのか?」


良い問いかけでした。
ジャーナリストらしい辛らつだが、的を得た発言でした。
忘れて久しいこと。
子供のときはまだたくさん聞かされていましたが、
働くようになってからそんなことに気を紛らわすことはない。
精一杯のルーチンの仕事で、自分が当たり前の人間になってしまった。
今の暮らしぶりも職場の環境も自分の待遇も当たり前のようにしか思えない。
恵まれている環境にいるという意識もなければ、
社会で中堅的な役割を担って、この社会をよりよくするために
努力すべきだという意識もない。
欠落の人間になってしまった。


この社会で忘れられた存在がいる。
自分も知らずのうち、
彼らを忘れさせる側の人間になってしまいました。
スローガンやキャンペーンに包まれながらも、
ひどく欠落しているものがあります…