精彩人生+坏透社Photos

ここ二三日、立て続けに色んな個性それぞれ異なる人たちに
話を聞くことができました。
毎回の話は、読書した感じになり、皆さんのそれぞれの見事な人生と
自由奔放な生き方に関心しました。


その中の一人を簡単に紹介します。
■張さん。自分で博物館を作った北京っ子。


懐かしい子どもの頃の思い出を網羅して、
自力で博物館を開いた。
言ってみれば、日本の三丁目の夕日の世代が
「昭和ストリート」を作ったような試みです。
しかし、すごいところは、
すべて自分で作ったこと。
土人形から、古い町並みのミニチュア、
内装、意匠を凝らした小物などなど。
47歳。満族
学校の勉強が嫌いで、高校卒業後、左官になっていた。
その後、飲食店の経営者、服装販売の個人経営、
色んな仕事を次から次へと変えました。
優れた観察力の持ち主で、何でも真似して作ってしまう。
手先の器用さは天性のものでした。


「人の真似はたいしたことがない。大事なのは、
 自分の趣旨を凝らすことだ」。
館内に、威勢の良い武将の意匠を身にまとう、
大人の背丈並のウサギ(兎児爺)の土人形がありました。
「兎児爺は昔の子どもが大好きなおもちゃ。
 京劇が私の大好きな芝居。だから、聞かせてみた。
 どこに行っても見つからない私が作り出したもの。
 このようなちょっとした工夫ができるかどうかが、
 職人とアーティストの分水嶺なのだ。」


子ども時代の自分に忠実で、改革開放でなくした大事なものを
失いたくなく、自分一人と支えてくれている家族の力で
孤独に頑張っている北京っ子です。



週末、あるボランティア団体の文化遺跡保護のアンケート調査の
現場をのぞかせてもらいました。
驚いたことがありました。
「文化遺跡の保護で決定的な役割を果たすのは?(政府、メディア、民衆、その他)」
という質問項目に対して、
ほとんどの回答者は、「それは当然政府なのだ!」と言いました。
自分たちの役割を半ば、あきらめた用に見える態度でした。
しかし、市民たちの反応を咎められない理由が後に分かりました。


「当初、梁思成さん(建築家、清末の思想家・梁啓超が父)は泣いてまで
 北京の城壁を保護しようと奮闘していた。
 しかし、結果はご覧のとおりだった。
 だから、すべてが政府の認識にかかっている。」


ありのままの中国の現状です。
だからこそ、NGOの活躍にこれからも期待したいです。



弘美人さまをはじめ、大勢の方たちにお世話になった四川大地震義捐金の募集は
今月いっぱいで終わるようですが、
その使い方について、
色んな方に意見を聞いています。
第一回目は赤十字会に寄付しましたが、
二回目は何とか直接被害者の手に届ける方法はないかで、
色々可能性を聞いている最中です。
友達の郭さんは代わりにインターネットでアイディア募集を呼びかけたところ、
いくつかのアイディアがありました。
現在はどうするかを考えている最中です。


さてさて、郭さんの書き込みを見て、
アイディアを出してくれた人には、
フォトジャーナリストの高さんという方がいました。
とりあえず、今日は電話で簡単に様子を報告しました。
私の話を聞いて、高さんから提案が出されましたが、
まもなくして、「詳細な案を明日メールする」というショートメッセージを
もらいました。楽しみです。
さて、その高さんの写真、見ごたえがあります。
現場に入ったのは20日で、震災直後の様子ではないですが、
フォトジャーナリストらしい目線のしっかり入った写真がご覧いただけます。
お勧めです。
「坏透社」は某有名な西側通信社の中国語名をもじった命名
ほほえましい命名です。


http://badbrain.blogbus.com/logs/2008/06/d10.html


いつでもアイディアが不足している時は、
インターネットはこうして色々役立ってくれるのですね。
ありがたいことです!