名残惜しい、北京五輪

北京は良いお天気でした。


朝、マラソンの観戦に行ってきました。
詳細はhttp://japanese.cri.cn/81/2008/08/24/1s125197.htm
色んな国の人がいて、盛り上がっていました。


一生懸命に、「オバオバオバ〜〜」と何語か分からない言葉で
応援していた外国人がいました。
なかなか熱が入っていました。口笛を吹いたり、拍手したり、
叫んだりしていました。
よっぽどひいきしている選手がいるかと思いました。
周りは中国人やらモンゴル人やら、日本人やら、
彼と似ている顔の人がいなく、どうやら一人で来ているようです。


話を聞いていると、一ヶ月前から彼女と二人で旅行に中国に入り、
数日前に北京に来ているようです。五輪のチケットが入手できなかったが、
ラソンの応援でも十分雰囲気が味わえたので、満足といいます。
しかし、とうとう、どこの国から来ているのかが、
聞いて分かりませんでした。
スペイン領のどこかだったようで、国籍はスペインのようです。
自分の島からも一人は来ているようですが、
それより、一生懸命に走っているすべての選手に応援したくて
やってきたと言います。


なんだか感動しました。スポーツは楽しいもので、
決してメダルだけではないことが、
彼の姿を見て、本当によく分かりました。


日本人の方たちに「印象に残った感動したシーン」と聞いてみましたら、
ほとんどの人が日本代表が優勝した種目を挙げていました。
個人的に、スポーツを超えて、選手にまつわる様々な物語に
一番興味があり、感動しました。そういった視点の感想が聞けなくて、
ちょっぴり寂しく思っています。
しかし、ということは、中国人はメダルに喜ぶ一方、
五輪をスポーツのみと考えていないことの良い現われかもしれない。
ふっとこんなふうにも思いました。


そのストーリーとは、例えば、
戦火や国内の圧力に屈せずに、参加したイラクアフガニスタンの選手に
まつわるストーリー、
交通事故で帰らぬ人となった妻の写真を手に、受賞台にたった
ドイツの重量挙げの金メダリスト、
アテネ五輪同様、最後のチャンスで、ミスって、予想外の低い点数しか
とれず、見る見る金を逃した米の射撃選手(もともと2位だったが、
逆転して金をとった中国人選手に笑顔でおめでとうと言った)と理解のあるその妻、
肘上しかない左の腕で、ボールを投げて、試合に臨んだフィンランドの卓球選手、
交通事故で片足を失ったが、女子の競泳で16位という成績を出した南アフリカの選手、
難病の息子の病気治療のため、五輪に参加した33歳のドイツの体操選手…


16日の感動的なお祭りを見せてくださり、謝謝!


男子バスケットの決勝が終わり、退場する人ごみの中で、
様々な国旗を身にくるめて出てきた観客に出会いました。
しかし、国旗を身につけているからといって、その国の国民とは限りません。
このバスケット少年がその一例です。

上海・浦東の高校二年生。
NBAのコービー選手の大のファン。
ありとあらゆる手を尽くし、バスケット決勝戦のチケットをゲット。
9月から高三なので、「受験の邪魔になる」と親の反対を押し切って、
五輪開催中、北京の親戚の家に居候することにしました。


夢はコービーのいるロサンゼルスへ留学すること。
「コービーが待ってくれているので、必ず勉強に励む」。


試合終了後、コービー選手は会場に残り、
来場した中国人のファンたちとの記念撮影に応じたようで、
少年にとって、超ハッピーな一日だったようです。


夜は、局対面の彫刻公園で花火が10分ほど打ち上げられました。
13階のオフィスから見ると、ちょうど同じ視線で、
花火が眺められました。贅沢な気分でした。



鴨川から眺めた大文字の火ではないですが、名残惜しい。
北京の夏は、これで正式に終りました。
まだ余韻に浸っています。