パラリンピック開幕+ニイハオ!トイレ+笑って泣ける開会式



何故か、全然リラックスしている。北京の町が。
今晩も9万人が鳥の巣に入場していたはずなのに、
町がわりと、普通、平常どおりです。おまわりさんの数が多いとか、特に感じません。
車の量も町行き来する通行人も、ほんとに普通です。
とにかく、五輪開幕の日とは違います。


東四五条の社区(コミュニティ)では、身障者の住民を集めて、
開会式を一緒に見るというイベントをやっているので、と誘われて、
とりあえず、行って見ることにしました。
正直、少し驚きました。
何に驚いたのか。
先ずは、身障者が、ほんとに社会に余り出てこないこと。
それから、障害者を見る社会の目、まだ遠いところから眺めているようです。


居民委員会のオフィスを借りてのテレビ鑑賞会。
総数、40人ほど。ボランティアのTシャツを着ている健常者が大半を占めている(30人ほど?)。
残りの方は、良く聞いてみると、
小児麻痺で足が不自由になった方もいれば、
知的障害者、脳溢血で半身不随になった方、だそうです。


聞く話では、この社区に程度の違いあれ、身障者、知的障害者
ひどいことに、心理的な障害者というカテゴリーもあり、
あわせれば、149人いるようです。


脳溢血の後遺症の方はやはりイメージが違うなと思いました。
その方はさておいて、普通にお話して、会話できたのは、
40代の足の不自由な女性でした。
ご兄弟の気遣いで、2試合のチケットを入手できたが、
どうやって行けば良いのか、いまだにわからず、困っているようです。
電話がいつかけても、つながらないため、
この様子だと、いつもの身障者用バイクで早めに行ってみるしかないと言っていました。


ほかには40代の小児麻痺後遺症の男性もいました。
ご本人は無口ですが、奥様は重慶生まれの健常者で、なかなかの働き者のようで、
おしゃべりもしてくれました。
奥さんは市バスの会社でパートタイムのような仕事をしている。
中三になる子どもが一人いる。だんなは仕事はしていなく、普段はいつも家の中にいて、
テレビを見たりして過ごしている。
政府からの補助金600〜800元(奥様のその月の収入により金額が違うとか)。
せっかく今晩は出かけたが、周りの人と交流できなさそうな雰囲気だったのは、
やはり残念でした。


住民委員会としては、一生懸命にムード作りに頑張っていたと思いますが、
かえって、ありのままの中国の身障者の現状を垣間見ることができたように思います。
ちなみに、ここ二ヶ月、この町では、バリアフリー施設の整備に猛烈なスピードで
作業をしていたようです。
たとえば、身障者のいる家の庭先の階段をなだらかな坂道にすることや、
座席付きシャワーの無料取り付けだとか…


そういえば、北京の地下鉄もここ数ヶ月、一気に、車椅子用の台が取り付けられました。
エレベーター付きの地下鉄もやっとお目見えになったりしています。
しかし、これらのことが、本当に機能するまでにはまだ月日がかかりそうです。


8300万人。これは中国の障害者の人数だそうです。
しかし、本当に申し訳なく思っています。
私もそうですが、普段、これらの人たちと接することがほとんどありません。
パラリンピックでどのような変化があるのか、こっそり期待しています。


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さて、本当に書きたいことは、トイレです。
胡同の中のトイレなのです。
東四五条に行ってから、どうしてもトイレに行きたくなりました。
住民委員会にはトイレがないので、「玄関を出て、左に曲がればトイレだよ」と教えてくれました。
無事、場所が分かり、中に入りました。
きれいなトイレでした。ちり紙は置いていなかったものの、
匂いもまったくなく、綺麗なトイレでした。
ただ、一つだけ、扉もなければ、しきりになるものも一切ありません。
要は、オープンそのもの。
5、6個ぐらい便器(和式)がずらりと並べていて、一番奥には洋式の便器も。


本当のところ、小学校、中学、高校まで、私の使っていたトイレは全部、扉のないものでした。
当時はなんとも思っていませんでした。
隣同士になった人は自然に会話を交わしたりして。
今、思い出せば、きっと、日本で言うと、風呂場の付き合いみたいな感じだったのではないかな。
日本語ガイドブックでは、「ニイハオトイレ」と命名しているようで、
天才な命名と思っています。


しかし、ここ最近は、どこに行っても、トイレには扉があるし、
扉がなくても、仕切りがある。こういうまったくオープンな形のトイレはもうありません。
まさか、2008年の今晩に、もう一度入ってきたとは。


ということを思いながら、トイレの中に誰もいなかったので、
まずは安心しました。
しかし、まもなくしてから、中年の女性が入ってきました。
しかも何故か、私のそばに来ました…
緊張してしまいます。
ロールに巻いているまま、トイレットペーパーを丸ごともってきました。


日本では、トイレに入る時、生理的な音を消すために、
繰り返して水を流したり、音姫で音を出したりして、隠す工夫が発達しているようです。
最初は、何で不自然なやり方をしているだろうと思いました。
しかし、久しぶりにこういう自然な中に戻ってきても、
やはり、窮屈な思いがしてしまいます…


このままだと、ストレスがたまる一方です。いけません。
そこで、「そうだ!!ちょうど分からないことがあるので」、と大胆に、
隣の人に教えてもらいました。
「すみません!このトイレは水はどうやって流すのですか」と聞きました。
やあ、ほっとしました。とにかく、これで会話を始めることができたので。
それに、本当に水の流し方を教えてもらいたかったので。


“なんだよ。すぐ後ろにあるボタンを踏めば、流せるんじゃない。”
なるほど。
「教えてくれて、ありがとう!
水をためるタンクは見えなかったので、不思議に思っていたところでした。」


女性は不思議そうに私のほうを眺めて、
“あんたたちのところのトイレはどうなっているの?”と聞き返しました。

「ええ、ビルに住んでいるものなのでね。それにしても、お家にトイレをつける予定はないですか。」

“この辺、ため池(化糞池)に近い家の人は、かなり取り付けているけどね。遠いと、パイプが通せないので、
 なかなかできないのよね。”

「すると、真夜中も、真冬もここに来なきゃだめですか。」

“まあね、夜はおまるを使ったりするからね。とくに不便とも思わない。
 だって、最近は、立ち退きでもめているところは、
 最後に残った数世帯の人は、自転車に乗ってトイレに行く人もいるからね。”


女性はどうやら妙に色んな話に詳しい。


“本当はね、し尿の処理はかなり儲けがいい商売なのにね。
今は、やる人がいなくなったな。
今の北京の若者は、こんな仕事はまずは考えられないね。
だから、地方生まれの出稼ぎ労働者とかしかやらないね。
郊外の広々としたところで干して、土なども混ぜて、
乾燥してから、良い有機肥料になるのよ。
運搬もしやすいし。植木鉢の肥料にも使えるし。
環境にも良いことだし。かなり、収入になるのよ。
ただ、くさいのだけを我慢しないのね。”


どうやら、汲み取り式トイレはなくなり、汲み取りにはいかなくなったが、
し尿の処理は基本的に同じようです。
今までは、てっきり、下水道で一緒に流してしまったかとばかり思っていました。


女性は文革中、内モンゴルに生かされ、労働をしていたようで、
その時にやった仕事はし尿の処理だったようです。
用を済ませてからも、トイレットペーパーを手に、
玄関に立って、私に引き続き話を聞かせてくれながら、
私が出てくるのを自然に待っていました。


久しぶりのトイレ人間関係の体験でした。
最初は緊張していましたが、口を利けば、リラックスしてお話ができたので、
本当に良かったと思います。
きっと、胡同に住んでいる人間にとってみれば、
トイレはまた、大事な外交の場に違いありません。
良いか悪いか別として、
現代化が進むのに、こういう何気ない会話を交わす場がどんどん減ったように思います。
「ニイハオトイレ」が消えたのにつれ、
その代わりになる「ニイハオ何とか」を少しずつ、作り出さなければならないのかなとも思っています。


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北京パラリンピック開会式、とっても良かったですよ。
知り合いの田邊さんがブログで書かれた通りのものでした。

http://mori.honjowaseda.com/COLUMN/column07/comments.php?y=08&m=09&entry=entry080907-215546


あと、目の見えない歌手の歌もとても良かったですよ。
何といえばよいでしょうか。私の耳にとっては、
久しぶりに歌らしい歌が聞こえてきました。
しかも、一度も青い空、白い雲、美しい乙女の顔を見たことのない
青年が憧れをもって、心からしみじみと歌いだしたところが
良かったです。涙が誘われます。
遠くに行ってしまったが、会いたい人たちが蘇ってきた歌でした。

動画はこちらから↓
http://v.ku6.com/show/NHJnAXPUrkOMO5X6.html

■歌詞
轻轻地 你抚摸我的脸庞
静静地 把温暖洒在我身上
虽然我看不到你的身影
可是我知道 你就在我的身旁


轻轻地 树叶在微风中歌唱
静静地 远处飘来阵阵花香
虽然没见过你美丽的容颜
可是我知道 你就在我的身旁


歌声里 白云在蓝天上飘过
歌声里 鲜花在草丛里开放
歌声里 我看见了美丽的姑娘
歌声里 我走进广阔的天域
歌声里 我走进幸福的天堂


そっと、僕の顔をなでてくれた
そっと、ぬくもりを僕にくれた
君の姿は見えないが、
僕のすぐ傍に、君がいてくれている


そっと、木の葉がそよ風の中で歌っている
そっと、遠くから花の香りが漂ってきた
君の美しい顔を見たことがないが、
僕のすぐ傍に、君がいてくれている


歌声にのせ、白い雲は紺碧の空を浮かび
歌声にのせ、花々が草むらで花を咲かせ
歌声にのせ、僕は広い空に歩き出し
歌声にのせ、僕はパラダイスに入った
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


開会式は、結局、今回も通して見ることができませんでしたが、
部分、部分見えたものは、とても素朴で、肩を張ることなく、
シンプルで、命の根源を問うものが多く、良いなと思いました。
敢えて「どうも〜」という感じて見たのは、
オープニングの空気入れ人形の方陣でした。


見ていて涙する開会式。
そして、素直にいいなと思えるステージでした。
命を明らめないすべての人に敬意を払います。