「各美其美」の時代へ+Art Beijing開催中

北京は雨。秋です。
パラリンピックの二日目。「パラリンピック」の元々の意味は「オリンピック」と平行する大会だったのですね。
そうなれば、中国語訳の「残奥会」はやや残酷な訳し方になってしまいましたね。


さて、今日は面白い公開講座を聞きに行きました。
これから正式オープンする国家図書館新館・地下階段教室で行われた
初めての講座でした。
講師は人民大学のコミュニケーション学の喩国明教授、
テーマは、「五輪を通して見るコミュニケーションの力」(仮)。


一刻も休まずに、延々と2時間弱講義し、時間が来ると、
ぴしゃっと、「以上が、私が今日、お話したい内容でした」で、エンディングへ。
質疑応答の時間を設けていなく、あっという間に退場。
しかし、凄まじい話術でした。
聞き終わってから、私も、早く、ニュースや報道の表象を通して、
本当の知恵を身につけなければならない人間になりたい、と完全に「洗脳」されました。
聞き応えのある講演でした。


日本人学者のことが何度も出てきたのが、やや例外でした。
たとえば、1979年に、喩氏が人民大学に入学してから、
(倉田保雄)著の『ニュースの商人ロイター』(路透其人和路透社)を
読んで、ショックを受けたとか。


■喩氏の講演から■
「和谐」(調和)理論は、共産党のこれまでの政治理論の中で、
過去を転覆する価値のある理論だ。
つまり、過去の一元的な価値観(東風が西風を倒すかその逆かという考え)から
「和して同せず」、違いがあることを前提にして、その共生を図る考えに切りかえったということ。
利益の衝突が生じるのは、社会が進歩したことの現われ。
ただし、その衝突をどのようにして安全な範囲に抑えるのか、
政治の舵取りが問われる。
社会の不満を安全にさばくには、はけ口が必要だ。
不満やストレスを発散する場とルートが必要。
「わだかまり」が「偏見」を生み出し、「偏見」が「衝突」を起こすので、
社会にはけ口を提供する視点から、
コミュニケーションがとても大事だ。



五輪後、政府筋は「マイナス報道はプラス的な社会効果が生むこともある」とまで明言するようになり、
中国社会が変わりつつある。
香港系のフェニックステレビが中国大陸で絶大的な人気を得たのは、
スタッフの頑張りはいうまでもないが、
それよりも、当時の中国国内は、メディア報道に対して、
「たいへん良く管理されていた」という社会背景が大きい。
VOAなど西側メディアの中国報道の権威性を弱める最も効果的な方法は、
国内メディアにもっと幅のある報道を認めること。


メディアは社会の番人。非状態的なもの、インパクトの大きいもの、
他の社会現象と関連の強いものを報道したがっている。
「太陽は東から昇ってきた」というような日常はニュースにはならない。
そのため、熱気溢れる報道を覚ます良い方法は、それを日常化すること。
「誰々も結局は普通の人間で、神ではない」とか。
また、社会の問題を隠すのではなく、あえて、日常的に報道するようにするとか。


ただ、驚きの話も聞いた。
■1950年代の中国は、毛氏の「新聞、旧聞、不聞」にまとめられた報道方針が
支配的な考えだった。
つまり、プラス的なことをすぐに報道する、
問題となっていることは、問題が解決されてから、
つまり、ニュース(新聞)が古く(旧聞)になってから報道する、
さらに、政府のイメージを傷つくようなものは、
資料館に封じて、報道に出さない。


喩氏は、この考えに対して、「当時の特定な時代背景の中で、
やむを得ずにそうした部分があった。
しかし、その存在の合理性は今はもうどこにもない」とコメントしていた。


■ブログなどの普及により、一般市民の情報発信が気軽なものになってきた。
 これに対し、メディア(マスコミ)は転換期を迎えた。
 事件報道のすばやさでは、これまでのように優位性を占めなくなるかもしれない。
 だからこそ、事件の深さや全般的な様子の報道、
 さらに、報道を通して、物事を考察する上の価値観や知恵を
 授けるようにすることが求められている。


工業化は、均一化した製品を作り出しただけでなく、
人間の考え方や精神をも均一化してしまっている。
品質や機能などの違いがどんどん小さくなり、
人間の内心が競争の焦点になっている。
そのため、成功したCMは必ずや、人々の生活スタイルや、価値観、感情と
コミットできて、それにレスポンスできるものであるはず。
こころで受け入れるかどうかが、勝負のポイントになっている。
これこそ、「好きなものは好きなんだから」のキャッチフレーズが生まれた背景だ。


■農業展覧館で、「芸術北京」と題した
博覧会が開かれている最中。


「博覧会」と「芸術」との関連性が、この頭ではどうしても良く分からなかったので、
会場へ行ってみることにしました。
結果的に、中身はやはり良く分からなかったのですが、
主催者のやろうとしたことが、「芸術作品を売る」ことだということだけが
確認できました。
(しかし、何故、アートは博覧会やオークションを通してでないと、
 見られないのかが、まだ良く分かりません。
 商品以外のアート作品というのは、ないのでしょうか。)
具体的には、世界各地のギャラリーに出展ブースを提供すること。
主催者はあくまで、ブースの提供、しかるべき広報もしているようです。
どのように取引が行われているのかが、各自のギャラリーの本領次第のようです。

今回がおととし、昨年に続けての三回目の開催。
これまでは秋の開催だったが、来年から、
4月に美術(現代アート)、9月に映像関連のものというふうに、
2回に分かれて開催することになったようです。

「初日から、赤いマークがつけられ、買う意向があると記された作品が
 数多く出てきた。ただし、どのぐらい契約が成立したかは、
 正確な金額は各、ギャラリーしか知らない。
 今年から、取引額は発表しないことにした」、とメディア担当の人。


聞く話では、日本からは東京4、名古屋1、計5社のギャラリーが出展している。
去年秋に、下見してから、今年の出展を決めた東京からのFさんの話では、
「この一年で、色んなことが変わった。去年の時点では予想しなかったことだった。
 地震が起きて、経済発展のスピードダウンも。また、五輪と重なり合い、
 輸送量が便乗して五輪料金でとられている」。
50〜60平米ほど(?)のスタンダードのブースは、
面積が日本の同種類の会の倍ぐらいあり、
値段は120万円(会期5日間)。
今のところ、商談がまだ一件もまとまっていない。
「こちらの方は、日本と違って、なかなか決めないようだ。
 最後の日の値下げを狙って、いっせいにやってくることを期待している」。
今回の成績のことはさておいて、
今後については、「中国には日本人アーティストの作品を買う人が増えるだろう」
という期待は変わっていないようです。


つばめの印象に残った作品
2008年の中国人の記憶を数多く生かされ、面白く見させてもらいました


 大地震が…
 巨大ゴミの捨て場



水没された故郷