四川の旅:都江堰→映秀鎮へ−2






↑なんと、落石のようだ!
「山のような大きさの石が踊っていた。恐ろしかった」。
体験者の語った言葉を思い出した




地震で深刻な被害を受けたアルミニウム工場。
地元では比較的大きい会社のようだ。



河原のわずかな空き地を使って、プレハブ住宅で
映秀鎮が再建された。商店やレストランが出来ると、
ほんとに町らしくなってくる。
ヘリポートも河原にあった。
しかし、見上げれば、いたるところに傾いた建物が見られ、
瓦礫もそのままの形になっている。非日常的な生活であるに違いない。






映秀鎮は10月下旬に、プレハブの商店街がオープンした。
布屋のおじいちゃんは85歳。お元気そうだった。
エプロンのブルーは四川のチャン族の衣装に良く見かける青だった。
おじいちゃんは漢族だった。
赤いスポーツシューズが良く映えていた。
後で知ったことだが、靴は配給品だった。
おじいちゃんの家族は
地震で16万元相当の布が埋められ、損した。借金もあるので、
 それを返さなければならない」と言っていた。





お昼は1時半頃に食べた。運転手と二人で、
炒め物2品とスープ(えんどう豆のやわらかい葉と豆腐)で28元。
味もおいしく、本格的だった♪
オーナーは地震前から鎮で飲食店を経営していたが、
やはり地震ですべてを失い、
今回は食器や家具などを調達することから始めたらしい。


道中、食堂で暖かい食事できるとは想像もしなかったことだった。
運転手の蘭さんもとても喜んでいた。
地震が起きたばかりの頃、この道を大人6人と子ども1人を
 乗せて、まる一日走っていたが、水とビスケットを子どもにやり、
 大人たちは誰一人何も食べなかった」という。



映秀鎮で、小学校6年生の子に出あった。
皆に囲まれて、車椅子が押され、楽しそうに笑っていた。
しかし、片足がないこと、残酷だった。
これから始まる長い人生の旅でも、この先、
ずっとずっと助けてくれる人が傍にいて、
楽しく笑いながら、おしゃべりできる人に囲まれてほしい。
後ろに立っているのはお母様だった。おおらかで、爽やかな方だった。