中国人にとっての飯島愛

月曜日から水曜まで、北京で行われた日本のドキュメンタリ映画交流活動で
通訳のお手伝いをさせていただき、充実した3日間でした。


今朝から5時40分起き、一年半以上長引いた教習所通いの
大詰めの段階を迎えました。
5日間も続くので、しばらくは地獄の日々になりそうです。


さて、夕方の取材で、ゲストからビッグニュースを聞きました。
飯島愛の“自殺”でした。
中国で多くの人にショックを与え、
ウェブサイトの写真入りトップニュースとして報じたり、
また、ソーシャルネットワークの豆瓣網などで
飯島愛を偲ぶ」ネット追悼行動が巻き起こったりしているようです。
こういう形で、中国人(主としてネチズン)の間で、
2008年の年末に、日本が再び注目されるようになるとは、
誰が想像したことでしょう。


たとえて言うなら、テレサーテンがなくなった時の中国本土の人の
反応と良く似たのではないかなと思いました。
中国人はそれまでの「みんなの愛」しか謳歌していなかった
時代に飽きて、
女性らしい歌、自分にしか属さない小さな恋を歌うことに飢えていた時、
テレサーテンの歌に出会いました。
それと良く似たことに、性のことが社会で空白になっている中、
中国人が飯島愛に出あいました。
中国人の追悼文の中で、「長年、AV事業の第一線で頑張ってきた」功労者として
書かれています。中国語の「事業」という言葉は、
日本語とは違い、本当に「偉大なる事業」というニュアンスでしか使いません。
ユーモア表現でありこそすれ、単に皮肉って使った言葉ではありませんでした。


夜、映画交流会の打ち上げで、集まってきたボランティアの
中国人青年たちに話が聞けました。


25歳のリさんは、「ショックだった。飯島愛は私の性の啓蒙教師だった」と
話していました。
「私だけでなく、1980年代生まれの男子大生では、
飯島愛の映画を見たことのない人がいない」といいます。
リさんは初めて飯島愛のAVを見たのは、「同年代の人より早く、中三からだった。
中学や高校で性教育らしい教育が行われていなかったため、
インターネットでダウンロードしたAVを教材代わりに見ている」と言います。
りさん曰く、AVの中で、日本のAVがメインで、
その中でも、飯島愛、そして、武藤蘭が代表格のものでした。
後者について、「为人不识武藤兰,阅尽A片也枉然」
(武藤蘭を知らなければ、いくらAV見ても無駄だ)という言い回しがあるほどです。


一方、30代のマオさんは、「中国人は飯島愛の映画を実際見たことのある
人は少ない。しかし、名前ぐらいは皆、聞いたことがある。
飯島愛の死がネチズンの間で、強い波紋を呼んだというのは、
それだけ日本の社会と文化に興味を持っていることの現われだ」と解釈します。


映像関係のマオさんは、大事な指摘をしました。
中国人は日本人の普通の生活や社会に対して、知るきっかけが少ないことです。
日本発信のものは、中国人の日常生活、とりわけ、若者のエンタメやレジャーに
強い影響をもたらしているにもかかわらず、普段、
テレビなどの主流メディアで、今の日本に関する紹介は少ない。
日本人は何を食べているのか、どのブランドのビールを好むのか、
教育や医療、高齢化はどうなっているのか、ひいてはAV文化はどうなっているのか、
中国人は生で触れるチャンスがすくない。
ネットでダウンロードして見たAVなどを通して見た日本は、
「日本人は変態が多い」というイメージにつながり、
そして、たまたま目の前に日本人を見ると、
「どこそこの映画の中の変態と似ている」という目で見がちになる。
そこで、中国人が日本社会に入って、見てきた日本を映像で記録して
中国社会に向かって紹介する必要があるとマオさんは提案します。
うなずけました。


飯島愛自殺に関するBBSの書き込みもあっという間に、
5000以上の書き込みがあがりました。
http://comment.ent.163.com/star_ent_bbs/4TULOUIT00031H2L.html


「ブログ」というものを中国に初めて導入した方興東さんは、
「インターネットの世界では、中国人はアメリカ人以上の自由を享受している」と
話しました。
今回もその一例ではないかなと思いました。
打ち上げ会では、
「日本ではこのニュースがどう扱われているのか、
 例えば、NHKは報道するのでしょうか」、などという雑談もありました。


中国人のネット世界では、決してパロディでも皮肉でもなく、
心から飯島愛を追悼するムーブメントがおきました。
中には、「飯島愛の体をぼろぼろにさせ、死の路に追い込んだ病的な日本社会が嫌いだ」
とアイドルの死を痛ましく思う人も。
国境を越えて、中国人のネットの世界にやってきた飯島愛
すでに日本社会から独立し、中国人のニーズに合致する形で
大きく成長しているようです。


日本人の目に映った飯島愛像とは何か、
中国で大きな波紋を呼んだ彼女の死について、
日本社会はどう受け止めているのか、
それらのことを拡大もせず、縮小もせず、
そのままの大きさで中国に向けて紹介する必要性も感じています。