大地震震源地・5ヶ月ぶりの映秀鎮行き

■都江堰を出れば
大自然は大地震の悲惨さを忘れたように、今年もうららかな春景色を見せています。


再建が着実に進んでいるようです↓
目標は3年(もう残り2年しかない)で基本的に完成するとか。




■道中〜震源地マークの巨石
5ヶ月ぶりに来ると、観光客の数がめっきり増え、屋台も並ぶようになりました。




地震博物館の一部になる漩口中学
去年末、北京でこの学校の中学生たちに会って話しを聞くことができました。
大部分の生徒は地震後、山西省の仮設校舎で授業を再開したようです。
今年の9月に新しい永久校舎が完成する予定だそうです。
ここもキャンパスの中の木々や草花が
人間の命のはかなさを思わせるほど、妖艶な生命力を見せていました…
なんと満開した八重桜も。
映秀の再建案では、ここは小学校の跡と一緒に、地震博物館の一部になるようです。



震源地、瓦礫の整理が進んでいる
まだまだ瓦礫の山が残っていますが、前回来た時より、がれきの量がだいぶ減ったように見えました。
ブルドーザーが作業し続け、少しずつ平らの更地になったところも増えているようです。
車で山道を登った時、漁子渓村の村人のようですが、
チャン族っぽい衣装を着て、竹のかごを背負っていたおばあちゃんが
高台の上から、呆然と廃墟を眺めていました。
おばあちゃんは単に登山して疲れて一服したかっただけなのかもしれませんが、
遠くを眺めていたその呆然とした目つきが、忘れられません。
運転手のYさんは「小学校を通る度、帰らぬ人になった4人の姪・甥たちのことを
思い出し、心が重たくなる」と言っていました。




■映秀鎮の公墓
鎮の蔡副書記の話では、地震前、鎮の人口は1万6千人いましたが、
今は5000人に減ったそうです。
漁子渓村にあるこの公墓は犠牲者を集中的に葬る場所でした。
山の勾配にあったとうもろこし畑を三段にして穴を掘り、
遺体は幾層にも重ねて埋葬したようです。
清明節の連休中、毎日2000〜3000人規模の墓参客が来ていたようです。
ここはいつ入っても胸が掻きむしられ、心がぎすぎすするところです。
かわいらしい玩具、きれいな花々、あどけない無邪気な写真、
本来なら天真爛漫に日々の暮らしを楽しんでいる年頃の子どもたちも数多く
葬られています。
二人の墓守、馬さんと胡さんの孫娘たちもここに眠っています。
「定かな場所はもう知ることができません」
「なくなった人も生きている人同然、きれいでいることが好きだと思います。
 毎日、朝一番にやることはお掃除です」
二人は毎日、8時半から夕方6時までここで墓守の仕事をしています。


去年に増して、墓碑がどんどん建ちました。
再建計画の中で、ここが墓地として整備され、
なくなった人の名前をすべて石碑に刻んでおく計画のようです。



墓地の前にも小さな屋台が出ました!


■映秀の「仮設」生活〜1
「板房」レストランのマーボー豆腐はおいしかったですよ。
さすが本場です♪
味付けだけでなく、豆腐そのものがおいしかったです。
食材が豊富のようでした。安くておいしかったです。

旅館を経営していた家も多かったです。
一泊20元〜40元。清潔そうで、テレビ、電話がありました。
仮設住宅はおのおのの家の人口に合わせて、
2人につき1件配分されていました。
中には、泊まりは親戚の家でお世話になり、あいたプレハブ住宅を
経営用のスペースにした家も多かったです。
宿をやっているおばちゃんから手作りの肉まんまでご馳走になりました。謝謝!
おばちゃんが自分でつくった韮の餡で、おいしかったです。



■映秀の「仮設」生活〜2
おじいちゃん、おばあちゃんたちの立ち話の風景に心が和みますね。
美容院はおしゃれでしたよ。
若い女性の店員はお客さんにパーマーをかけていました。
売店の横断幕には「温じいちゃんが訪れた小さな売店」と書いてあります。
温家宝首相が視察に来た時、励ましに入った店のようです。
「人々の生活を便利にし、国の負担を軽減しました。しっかり頑張ってください」と
励ましてくれたようです。
奥さんの陳さんはあいにく家にいましたが、旦那の李さんと娘さんが
店の当番をしていました。
「もっと買い物客が増えるといいですね」と陳さんは微笑みながら悩みを打ち明けてくれました。

仮設住宅前にたちまち「野菜ばたけ」が開拓済♪




去年9月、夕方7時になると、仮設住宅ばかりの鎮には、
2時間たっぷりダンスパーティーチベット族の锅庄踊り)があるようです。
「一泊しないとそのにぎやかさが分からないですよ」、とYさん。

■漁子渓村
なんと、村の書記さんが率先して「農家楽」をひらくようになりました。
開通したのは書記さんの39歳の誕生日の4月6日。
「当分宿泊はできませんが、村を訪れた人たちに
 お茶でものんでもらえる場所を提供したくて。
 援助を待つだけでなく、自分の心を持ち直して何か
 やらないと、物事が変わりません。
 私のことを見習って村人がどんどん元気になってほしい」
政府に提供されたむしろなどで、自分たちで作った仮設住宅の中は
きれいに掃除してあって、落ち着いた雰囲気でした。
窓から眺めれば、向かい側の山が借景になっていました。
ご馳走になった新茶はとってもおいしかったです。


■夜の都江堰
都江堰水利施設の入り口。地震後に修繕しました。
観光に来てくれることは、都江堰にとって一番の良い慰めのようです。



夕食は運転手Yさんのお友達と、いとことおばの7人でしました。
いとこのトウリさん(24歳)と母親の方さんはまるで姉妹のよう。
結婚式の買出しのため、朝から都江堰に出かけてきたようです。
「29日に結婚します。おなかにBabyがいます」
トウリさんは専門学校で日本語を少し習ったことがあり、
誇らしげに日本語で話していました。
花婿は四川生まれの同郷ですが、今は深センでバイトをしています。
式は故郷で行います。
仮設住宅で結婚式を行うのは、トウさんが初めてではないですが、
「私の結婚式に来てもらって、皆で元気になってもらいたい」と話していました。
同じ村の500人に来てもらうようです。
母親曰く、「私の時は同じ村の人、全部で1200人に来てもらいました。今回は
同じ組の500人に留めました」?!


地震からまもなく1年を迎えようとした映秀鎮では、
傷口がまだ完全にいやされていませんが、
仮設住宅での暮らしとは言え、生き生きとした生活感が戻りつつあります。


夕方、渋滞して30分ほど動かなかった山道で、やっと車が動き出しました。
すれ違ったシルバーの乗用車を見ると、
運転手のYさんがまたまた大きい声を上げて挨拶をしました。
道中、親戚や友人の車やトラクターに何度もすれ違い、その度、
彼は大きい声を出して挨拶していました。
運転席にいたのは、髪を短く切り上げ、穏やかそうに微笑んでいた中年男性でした。
遠のくと、Yさんは言いました。
「おじです。地震で小学校5年の子どもがなくなりましたが、
 今、おばはまた妊娠して、新しい命がまもなく誕生します」


大自然のみならず、この大自然を生き抜く人間もたくましいと思いました!!