震災から一年〜1

■番組案内
映秀鎮の墓守・馬さんのインタビュー↓
 http://japanese.cri.cn/1041/2009/05/12/1s140161.htm
つばめのス:大地震から1年↓
 http://japanese.cri.cn/1041/2009/05/12/1s140168.htm


 午後、映秀鎮取材の時、お世話になった地元運転手の楊さんから電話がかかってきました。
 楊さんは24才。酒が好きで、たまに喧嘩っぽいですが、
 実はとても気が利く、心やさしい青年です。
 大地震で、小学校に通っていたいとこや姪・甥たち7人を失い、
 「小学校の遺跡の近くを通る度に、心が痛くなり、見たくもない」。
 小学校の遺跡は鎮外へ行く時の通り道にあり、
 その度、彼は心の傷をなめるようです。
 今日は、国家主席の主催した記念行事が映秀鎮で行われ、
 良い心の慰めになったと言ってくれました。
 また、都江堰から映秀鎮に行く高速道路も今日で、開通したので、
 15分ほどで都江堰に行けることも。 
 先日、送った写真が無事届き、その御礼を兼ねて電話をくれました。
 「いま、行事が終わり、交通制限が解除されたので、
 親族一同で共同墓地に行って、なくなった親族を供養します」と
 言って別れを告げました。
 
名古屋の弘美人ママ、羽場さんを始め、皆さんの義捐金を受け取った
北川県の王懐菊さん(弟さんを失った)と
王学さん(奥さんが帰らぬ人になった)にも携帯メッセージや電話で連絡してみました。


王懐菊さん:両親は元気にしています。私は茶摘みの手伝いなどで、
      しばらく家に帰っていましたが、明日から大学(成都)に戻ります。
      きっとすべてが徐々に良くなると信じています。

王学さん:今は、兄と一緒に山東人の工事現場で(北川県の再建に援助を提供するのは、山東省政府なので)
      パートタイムをしています。体の様子はぼちぼちです。毎日、80元の収入があります。
      上の娘は今、綿陽市の学校に行っており、下は擂鼓鎮の小学校です。
      兄たちと一緒にプレハブで暮らしているので、
      今、兄嫁が娘の世話をしてくれています。
      毎週土曜日午後、家に戻り、家族3人で過ごしています。
      もともとの村(任家坪村)は地震博物館の立地に指定されたため、
      土地が収用されました。仮設住宅での暮らしはまだしばらく続きます。
      すべて順調なので、ご安心ください。
     「時間があれば、ぜひ遊びに来てくださいね」!


 5月12日
この日をどう迎えればよいのか、すべての中国人にとって考えさせられことでもある。
 数日前に、北京でタクシーに乗った。運転手に聞いてみた。
四川大地震のその後について、今、みな、関心を持っていると思いますか」
答えは、「そうは思えませんね」です。
 理由は「日が経つと自然と関心度が薄れるし、それに、あまり報道もしていない」。
 

 個人的には、メディアは大地震後の関連報道を意図的に減らしたとは思っていない。それよりも、世界では世界金融危機新型インフル、国内では経済成長の8%維持、医療改革、新中国建国60周年など、注目しなければならない課題があまりにも多い。
 それよりも、メディアは何に注目しているのかに興味を持っている。確かに、全体像はなかなかつかめないかもしれない。もしかして、正確な全体像というのは、永遠につかめられないものかもしれない。しかし、それに向けて努力することが大事だ。

 今、手元にある3種類の紙媒体、『新京報』(日刊)、『南方週末』(週間)、『中国新聞週刊』にはいずれもこうした努力をしようとした記事が見られた。とりわけ、5月12日付けの『新京報』に掲載されたルポ集『問川〜被災地再建調査報告』(メイン記事が11本)がたいへん読み応えのある記事だった。
 コンパクトにその主な内容を紹介する。


1)(農村部)家屋再建の現状
(レンガ不足、資金不足、職人不足が問題。貧しい農家の資金不足も問題)


2)(都市部の毀損住宅)建て直すか、補強するか
(不動産のオーナーにより、意見が対立している)


3)土地が奪われ、農民たちは生活の糧をどこから求める?
(大地震により、17万ムーの農地が大自然に飲み込まれた。1ヘクタール≒15ムー)


4)倒れない校舎は、どうやって作り上げる? 学校再建にフォーカス
(今、一部の地方で見られる超豪華校舎の存在にも触れた。それによると、四川省教育庁関係者も「再建中の校舎に超豪華建設の現象はある」と認め、「主として、用途を指定した寄贈プロジェクトだ」と説明している。人の善意も難しく感じる時がある。)


5)7400人あまりの身障者のリハビリの現状。
(大地震による身障者は7400人あまり。政府の被災者向け全額無料治療は、2008年12月31日をもって終了となった。今年から、全員が通常の医療保険システムの適用対象として、治療を受けることになっている。
入院してリハビリをする場合、一ヶ月に1万元かかるとなっている。医療保険が一部負担してくれるにしても、個人の負担はかなり重い。これも大量に退院者が出た原因である。一方、政府関係者は「治療的リハビリ」と「機能回復的リハビリ」を分けて考えているようだ。前者は衛生省の所管で、後者は民政省身障者連合会の所管になる。だから、話がややこしいようだ。
 統計では、昨年末まで、6318人余りが「治療的リハビリ」を完了し、「無事退院」したとなっている。なお、今も病院でリハビリ治療を受けている人は1109人しかいない。こうしたことに対し、医師は、「退院した人たちも、体の機能を衰えさせないようリハビリ治療を継続する必要がある。それに、リハビリ治療にはゴールデンタイムがあるので、それを逃せば、患者は一生、自力で立つことができない人間になる恐れがある」と話している。
 一方、政府関係者にとっては、様子が違うようだ。たとえば、衛生部門の官僚と記者とのやり取りはこんなふうなものだった。

記者:いま、リハビリ治療を受ける必要がある人は、現在、入院中の1109人にとどまらないはずとも言われていますが…
官僚:そう言っている人は「治療的リハビリ」と「機能回復的リハビリ」のコンセプトをごちゃ混ぜにしているからです。退院した6318人は「治療的リハビリ」を終えた人の数なのです。彼らはこれから「機能回復的リハビリ」治療を受ける必要があるが、その部分は身障者連合会の所管になります。


 いっそ、患者の体を健全な部分と障害のある部分に分け、それぞれのところに治療に出せばよいと言っているようだ。
 関係者は震災身障者救済用の特別基金の設立を呼びかけている最中。)


6)子を失った母、矛盾した気持ちの中で新しい命を孕んでいる
(とても良い記事だった。大地震で子を失った後、再び結婚して、あるいは再び妊娠して子どもを生んだ人がかなり多い。こういう記事や写真報道を見ると、今までは、「生活に新しい希望が湧いた。なんと逞しい四川人!」という受け止め方をしがちだった。しかし、子を再び孕んだ母親の内心は、実は様々な悩みと葛藤があった。彼女たちの心の深くまで入って、話が聞けた記事だった。
たとえば、産婦の高齢出産の問題、子育ての資金、出産ブームと不足する医療、または「子どもが小学校に入る時は、自分たちはもう50歳、子どもの勉強の面倒はとても見られない」と18歳の子を失った母親の心配も。さらに、 「18年も育てたのに、あっという間に消えてしまった」という無念さもある…「逞しい」というイメージを持たせてくれた半面、彼女らにとって、「悩みはギシギシと音を立てて走る列車のように、次から次へと頭の中を走っている」
 この記事によると、四川省人口部門の統計では、大地震で子を失った「一人っ子政策」の家庭(注釈:農村では、子どもは二人まで生んでもよいとなっている。その場合は、一人っ子政策の対象家庭にはならない)は1万世帯以上あり、そのうち、もう一回、子を産みたい意思のある家庭は6000余りあるということ)
  

7)震災孤児の少年時代
四川省の発表では、地震で両親を失った子供の人数は630人。これらの子供に対して、政府は彼らが満18歳まで、毎月600元の生活費を拠出している。彼らの大部分は親戚や祖父母に引き取られており、血縁関係のない人に引き取られた例は少数いる。病気を抱え、姉と離れ離れになって施設で暮らしている孤児少年にインタビューした。健康で、健全な子はすぐに引き取られてしまうが、身障者や病気のある子にはさすが愛の心を抱いている人が少ない。引き取る側にも理解はできるエゴがある)


8)心のケア、空白のまま
(「復興計画の一部に書き込まれている心のケアは、白い紙のようだ…」となっている。
これに関して、私が個人的に感じたことは、「心のケア」という言い方は漠然としすぎていること。地震後、家族を失い、性格もいらいらしてきた被災者の言葉に深い印象を残した。「私たちには心の病はない。ケアを受ける必要もない。私たちの問題というのは社会問題なのだ。まずは社会問題の解決からだ」。
ボランティアのあり方にもかかわっていることだと思う。)


9)観光業の建て直し
 (四川省観光局関係者:76ある四川省の有名な観光地では、地震で被害を受けたのは5〜6箇所に過ぎないのに、みな四川に来なくなった。500億元の経済損失が出た。これからは農村観光に期待。農民の就業問題の解決につながるからだ。四川が相変わらず風光明媚なところ、観光地としての四川に対する信頼を回復することが当面の急務だ。なお、成都市の11箇所の無料観光カード・パンダカードはすでに2000万枚発行したという。地震遺跡の観光開発もこれから期待される)

10)北川県、政府幹部の人事について
 (全国唯一のチャン族自治県でもある北川県は、被害が甚だしかった。総数2047人いる政府幹部のうち、23%に達する466人が犠牲になった。役所の資料や記録なども悉く破壊された。再建作業には指導者(幹部)が不可欠だ…地震後、2000人ほどの新しい幹部が補給されたが、彼らは突然任命されたポストに勤まっているのか。現状はどうなているか?)


11)地震予測の今後について
四川省地震局の局長のインタビュー。「専門家を飼うより、ヒキガエルを飼ったほうが増し」と厳しい世論の非難を浴び続けていた。自分自身を深く責め、部下たちにも、決して「世界的に見ても、地震の予知は難しい」を口にしてはだめだと強く注意している。大地震後、しばらくは外を歩くことすらできず、妻を含めた親族や知人はみなに責められていたかわいそうな局長の姿が描かれていた。
 大地震が起きた一週間後に、一回、余震予告を出した時もあったが、見事はずれた事件もあった。その裏に何があったかまでは語ってくれていない。何か裏があるようなことをほのめかしていた。
 しかし、私に言わせてもらえれば、地震予報システムは個々の地震局の努力でできるものだという潜在意識が甘いことをみな、意識していないのか)

 『新京報』の特集は、再建の全体像を知るのにたいへん参考になった。