震災から一年〜2

 5月7日付けの『南方週末』は、「活着」(活きる)をテーマにした特集を掲載した。
 記事リストは以下。


◎活きている
――都江堰、繁多ある町部の再建サンプル
  
(著名な観光都市で進められている「連建」モデルの裏と表をそれぞれ描いた。「連建」とは農民は余った宅地を集団(村)に出し、都市部の人にその宅地を利用して家を建ててもらう。できた家の中には、農家に一人あたり35平米の基準でしかるべき面積の家を無料で提供する。残りの部分は投資者の所有となり、その家を民宿やレストランとして利用する場合は、一定の割合で、経営収入の一部を農家の所有にする。
 賛成派は、農家の再建資金不足の問題を解決してくれたというが、反対派は、「観光地なので、地震前の民宿経営だけでも、年間13万元の収入を得られた。こんなことをされたら、災害に遭った人の財産を奪いとることと同然だ」という。
 ただ、都江堰市は6種類のモデルを作り出して、農家に自由に選んでもらっているようにしているということ。今のところ、「連建」モデルは全体の1割ほどを占めているようだ。
 土地の個人所有が認められない中国では、農村部の土地の市場化に向けての試みとしても、この「連建」モデルが内外から注目されているようだ)


――北川擂鼓鎮 仮設住宅の中のセミ・都会の生活
 擂鼓鎮には四川省最大の仮設住宅群がある。元々地元農民の家屋と田畑の場所には、今は6078軒の仮設住宅が画一的に配置されている。広さ3.9平方キロ。居住人口1万2千人あまり。
 土地を失い、元々頼りにしていた生活の手段も失った農民たちは、これからの生活の糧はどこから得られるか。再建後、「町部の住民の生活」をせざるを得なくなる農民にとって、豚や鶏を飼うスペースを失い、野菜を植える畑もなくなる。そのような都会の生活に、人々はすぐ慣れるか。
 または、就業チャンスを拡大するため、仮設住宅の中で、チャン族の衣装や装飾品を作る工房ができ、50数人の女性がラッキーにも雇用された。月収200〜500元。仮設住宅区で今、最もみなから羨ましがられている就職口だ。ただ、何故私たちにチャンスがないのかと隣村の人々の不平も聞こえてくる。
 仮設住宅の中の喜怒哀楽、非日常、いざこざ、エゴ、対立、人々の悩みや生活力、忘れっぽさもありのままに描き出される。


――映秀鎮漁子渓村 共同墓地付近の再建のジレンマ
 漁子渓村の蒋書記の「公心」と「私心」を主線に展開された記事。
 蒋書記には、私も実際話しを聞いたことがあり、蒋さんの家の民宿にも行ってみた。一部の村人から見れば、書記さんは自分の家の利益を優先し、他人の家の発展を顧みないという批判があるようだ。ただ、政府が犠牲者を埋葬する墓地を探す時、いくつもの村に断られたようだが、漁子渓村の蒋さんはそれを引き受けた。「公に言えば、犠牲者に安らかに眠る場所を提供し、政府の難題を解決した。私的に言えば、こうした墓地が村にあれば、大地震後、きっと大勢の人が村を訪れ、村の発展につながるに違いないと思ったからだ」という蒋さんの「公」と「私」の範囲は伸縮自在のものでもあるようだ。
 ただ、私のイメージにある蒋さんは、落ち着きのある人で、たいへんな仕事を引き受けて頑張っている印象がある。奥さんとともに、二人してしゃがれた声をしていて、経営する能力に長けている印象もある。
 私心にも許せる範囲のものがあってよいのではないだろうか。私なら、人間をみにくく見たり、描いたりしたくはない。どことなくひねくれた目線で書かれているようにも感じた記事だった。ただ、私は村人に幅広く接していないので、どちらがより真実に近いのかは判断する材料が不足している。ただ、全体的に言うと、漁子渓村は映秀鎮のすぐ東南方向の高台にあるので、世界から注目されている分だけ、国の援助がたいへん行き届いている地方だと言えるのでは)


――(シ文)川アール村 千年の変 「チャン」の行方は?
 大地震によるチャン族文化のルーツに対する被害を取り上げた記事。アール村は、千年の歴史のあるチャン族の村落。文字を持っていないチャン族にとって、数多くの文化財や古代建築を有しているこの村は、重要な文化的地位がある。民族文化の根を保つため、一人ぼっちで頑張り続けている村のShibiさん・馬永清さんのことも紹介されている。


――甘粛文県 国家貧困県の再建の苦味
 川を隔てて、まるで状況が異なる。メディアでの注目度も違うし、国の支援、社会各界の援助も異なっている。人口25万人、いわゆる貧困人口が全体の75%を占めている。資金不足(個人も政府財政も)、建材の不足と価格急騰、人件費の急騰などで、文県の再建スピードが緩やかなようだ。
 今年の3月までに、文県に社会各界から寄贈された義捐金はわずか1302万元。一部の四川の学校1校が受け取った義捐金よりも少ない金額だ。今も仮設住宅にも住めず、テント暮らしをしている被災者もいる。一方、文県から国に提出した再建報告では、再建必要な34999世帯の農家では、94%が着工し、68.8%が竣工したとなっている。果たして現状はどうなっているのか?)



◎変革している――超級校舎誕生記

(シ文)川県の県庁所在地から3キロの平野には、全県でもっとも壮観な建築群がそびえている。19棟のがっちりした建築。
 再建ラッシュで、建材が急騰している中で、わずか73日間で完成を目指せ(9月の新学年に間に合わせるため)と言われたこの学校は、総工費が当初の予算を超え、3億元になると見られている(セメント1トンはいつもなら660元だが、ここでは900元)。
 鉄筋をはじめ、どれも国の地震基準を上回る最高に良いものを使い、五輪競技場に使われた建材や技術もふんだんに搭載されている。
 「マグニチュード8はもちろん、9でも倒れないことを保障する」。
工事総責任者は言う。定年退職間際に大任を任せられたこの総責任者は、「完成せねばならない任務だと言われた。全世界が見ているから、失敗が許されない」と大きなプレッシャーを浴びる中で仕事を引き受けた。
 一方、立地は元々1300軒余りの仮設住宅が密集していた臨時住宅区。人々はここで暮らしてまだ4ヶ月しか経っていないが、さっそく立ち退きに遭わされた。
 広東省江門市による援助プロジェクトだが、資金がたちまち困難になり、事実、広東省が再建の模範事例として全面的にバックアップするようになったという。
スーパー校舎誕生の裏の話には驚く話が多い。
ちなみに、(シ文)川県の県庁所在地の総人口は3万人。この学校の収容人数は4500人となっている。)


――犠牲者・行方不明者人数 一人だって無理されてはならぬ
 中国民政省が08年9月25日の発表では、四川大地震により69,227人が犠牲となり、17923人が行方不明となった。
 これらの数字はどうやって統計されたか、具体的な事例を織り交ぜて紹介。DNA認定をする暇もなく葬られた犠牲者も数多くいたという。


―― “5・12”の成都的記念  活きた人間が第一
 記念館と法事もあれば、野外音楽フェスティバルやマージャン大会も。マージャンとなると、さすが成都人らしい。


――北川で出向する幹部たちの一年


◎考えている
――成都モデル 政策的な災害救助と都市実験場

 成都モデルとは、その中心内容の一つは前文に紹介した「連建」モデルのこと。都江堰市は行政区鶴城、成都市の所轄範囲となっている。
――中国、救援システムの大変革
――理想と現実の落差 被災地再建におけるNGO観察
――唐山再建の最初の一年
 
  唐山で大地震が起きた後、被災者は10年間も仮設住宅暮らしをしていた。被災の様子が極めて不透明で、世界の援助はもちろん、国内各地も援助する余力がない時代背景が描かれていた。認可のない民間の写真撮影すら許されていない過去も。
「再建に10年、回復に10年、全部で20年かかった」。ほぼ自力で立ち直った唐山の過去が描かれている。
 この歴史的な記事のおかげで、特集に奥行きが出たと感じた。


◎(将来に対し)あこがれている
写真特集 「地震後の再編家族」
 配偶者を失った人同士が結ばれている。その写真と彼らのストーリーが掲載されている。


 『南方週末』の特集は、ありのままの、日常的で、現実味の被災地の現状とその土地で暮らしている人々のありのままの様子をつつみ隠さず、「感動化」の作業をせず、描き出している。