四川北川県・王懐菊さん:被災地の今

北京の夜空を、顔が半分ほど隠れている上弦月が飾っています。
蝋燭のようなほのかな光を放っています。
夜の最低気温が15度ほどに下がりました。
草木も急激に下がる気温にびっくりしたのか、
夜ふけとともに、良い香りを漂わせてくれています。


日本では政権交代の日。
中国では、明日から多くの学校は新学期が始まります。
夜、携帯電話にメッセージが届きました。
四川・成都師範大学三年生の王懐菊さん(北川県曲山鎮任家坪村)から
成都に戻ってきた。明日から授業が始まる」というメッセージが届きました。


さっそく久しぶりに電話をかけて、最近の様子を聞いてみました。


地震の時、王さん本人は成都の大学にいましたが、
実家は大きな被害を受けました。
村全体が地震につぶされ、
当時は北川中学・高校部2年の弟も倒壊した校舎の下敷きになり、
帰らぬ人になりました。
両親は無事でしたが、持病がある上、大きな精神的なダメージを受け、
最近は二人とも働きに出ていません。


現地を取材した記者の知人の紹介で、
去年、名古屋の坂東弘美さんをはじめ、日本からの義援金
一部を王さんに送金したことがあります。
きれいな字で、まめに手紙が届き、
春節の時、自家製の燻製ハムまで送られてきました。


その王さんに、去年、成都出張のついで会いに行ったことがあります。
丸くてかわいい顔、小柄な体で、典型的な四川娘です。
手先が器用で、自分が刺繍した携帯入れをプレゼントしてくれました。
親を思いやる気持ちが強く、気が利くとても良い子という印象でした。
礼儀正しく、いつもはにかんで微笑んでいる王さんですが、
今回は電話でため息ばかりついていました。
私が同じ境地ならば、彼女と同じように困っているだろうと
電話を聞きながらそう思いました。


王さんに聞いた被災地【曲山鎮】の今の様子を報告してみます。
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【住宅】
仮設住宅暮らしが続いています。
この夏は雨が多くて、頻発した土石流で
住宅の中まで時々浸水しました。
「晴れる日が少なく、恐ろしい夏でした」。


村落は地震で全滅したため、村人は近くの町「曲山鎮」の
集団仮設住宅区で生活しています。
ところで、村人にとって今、一番の悩みはまさにこの「住」のことです。


「引越しが多いので困っています。
 地震直後は、村はずれのテントに引っ越しました。
 その後、今の仮設住宅になったが、
 最近は近くの擂鼓镇に引越しせよと言われています。
 理由は仮設住宅エリアが大地震博物館の計画用地に
 指定されたからです。
 けれども、擂鼓镇の無料仮設住宅に皆は行きたくはありません。
 何故ならば、そこは2年ほどの仮住宅に過ぎず、
 最終的に各自は元々の村落に戻って、
 固定住宅を各自で建てることになっているからです。
 それならば、引越しの回数が少ないほうが良いと皆が思っています。
 引越しする度に、貧乏になります。
 ただし、元々の村落は今、地質的にまだ不安定で、
 流れ込んだ土石流の土砂で田んぼや畑が埋まったままです。
 すぐに住居を建てて暮らせる状態ではありません。」


【生計】
懐菊さんの家は、両親は体調が悪いため、
二人とも働いていませんが、
村では体力さえ許せば、近場でアルバイトしている人が多いです。
建築現場の作業員の場合、一日の収入は80〜100元ほどあるそうです。
農民とは言え、農業による収入はほとんどなくなりました。
そればかりでなく、耕地は去年の地震と今夏の土石流に飲み込まれ、
以前は自給自足できた食糧だって市場から買わなければならなくなりました。


「物価が高いです。
 近くの村ではどこも、農作物や野菜を作っていないので、
 遠方から運んで来なくちゃいけないからです。
 豚肉の値段だって、夏休みで家に帰ったばかりの頃は
 500グラムで7元でしたが、わずか2ヶ月未満で、今は12元に値上がりました。」


土石流の後、政府から一人当たり2.5キロの小麦粉が支給されました。
その他の援助は、王さんは「とくに聞いていない」と言います。
小麦粉は「真っ黒で、びっくりした」そうです。


【家庭生活】
懐菊さんの叔父さんの王学さん(42歳)は地震で妻を失いました。
中学三年と小学校6年の娘と三人家族になりました。
王学さんは地震直後に、「子どもの世話をする人がいなくて、
出稼ぎにいけない」と言っていましたが、
最近はめでたく再婚しました。
相手は、地震で旦那を失った地元の女性で、
16歳の息子が一人います。
北川小学校の脇でずっと店を経営している女性なので、
懐菊さんも良く知っているそうです。
「良かったね」とおめでとうを言いたかったのですが、
「しかし、一番上の従妹と新しい母との仲が悪くて
 どうしようもありません」と懐菊さんが言います。
調停役を何度も勤めたこともあり、
「双方に問題があります。
 お母さんは自分の子どもが可愛いと思っているし、
 従妹は難しい思春期でもあり、
 新しい母親を受け付けられない。
 下の従妹が新しいママとうまく行っているのに」。


一方、叔父・王学さんは、
「とにかく猛烈に働いて、お金を稼ぐしかない。
 どんな仕事でも、仕事さえあれば働きに出かけています。 
 食べ物も昔は好き嫌いがありましたが、今は何でも食べています。
 過労気味で、ギスギスに痩せています」。


【王懐菊さんの悩み】
弟がなくなり、今は両親の唯一の子どもになった懐菊さん。
親思いで、何とか頑張って両親の気持ちをほぐそうと
一生懸命です。
けれども、母親は持病の頭痛が治らないし、
父親は「気力がない」と言って、最近は働きに出ていません。
「体調のこともあるが、それよりも心の病もあるようです」と
王さんは心配そうに言っています。
夏休みはずっと両親と一緒に過ごした懐菊さんは、
親に楽になってもらうため、
食事から家事のすべてをやっていました。
今、家は現金収入がなくなったので、
新学期の開始に必要な学費や生活費は
すべてこれから自分でバイトをして稼ぐと言っています。
それでも、先学期から月一回は必ず両親に会いに、
仮設住宅の実家戻っていましたし、
今学期もそうしたいと言っています。


ところで、新学年の開始に必要なお金について少し詳しく聞いてみました。

■学費=5000元
 寮費=900元
 雑費=400元

その他について、
■毎月の食費=200元
 毎月のお小遣い=100元
■月一回実家に戻るための交通費
 列車=30元/片道⇒往復60元 
 ちなみに長距離バスは片道50元かかるので、
 王さんは列車しか乗らないようです。


(ざっと計算すれば、一年の総費用は9300元〜1万元のようです)


意外だったのは、「農村地区に教師を育てる」使命を兼ねている師範大学でも、
学生たちは学費・寮費・雑費を支払う必要があるし、
学校からは学生への支援金がほとんどないようです。
「大学一年の時に一学期200元の手当てがありましたが、
 それも第二年の時にはいつの間にかなくなりました」。


また、国の被災地学生への支援策として、
去年、一人3700元の補助金が支給されましたが、
今年はまだ何も聞いていません。
奨学金を申請することができますが、
 結果が出るのは、学期末になります。
 それに様々な条件があり、たやすくはありません」。
とりあえず、明日の授業に行けるための、
学校に「学費支払い遅延申請」を学校に出しました。


その「遅延申請」は先学期も同じことで学校に提出しましたが、
学期末までに3回も催促の通知が届いたといいます。


大学1年の時、両親からお金をもらって大学に入ったが、
2年以降からは、学費の減免申請をし、サラに、
小中学生の家庭教師のバイトをして、自立していたという王さん。
「きっと何とかなるから。心配しないで」と今回も電話の向こうで空元気を見せました。


国慶節のお祝いムードが強まる中で、
最近は被災地のニュースがほんとに少なくなりました。
こんな中でも何かしてあげることができるといいのなと思っている今日この頃です。


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