「お手伝いさん、雇いませんか?」

15階の自宅からエレベーターに乗った時のことでした。
中には、こざっぱりした40代初めの清楚な女性がいました。
ドアが閉じられ、その女性の尋ねる声がしました。
「あのう、“小時工”(時給制のお手伝いさん)は要らないですか?1時間10元です。」


中国では、お手伝いを雇う家庭がかなり多い。都会部の共働きの夫婦や赤ちゃんが生まれたばかりの家とか。
都会に殺到してきた膨大な農村人口のお陰で、
普通のサラリーマンでもお手伝いさんを雇っている家が多いです。


しかし、そんなハイカラなことは、一人暮らしをしている私にとってはどうも必要性を感じませんでした。
とは言いながら、実は、本当のこと、我が家に夕方からお客さんが見える予定なのに、
ばたばたしていて、昼過ぎになっても掃除はできていません。
誰かに掃除を手伝ってもらえれば、嬉しいというのが本音でした。
目の前に自己推薦の方が現れ、動揺してしまいました。


落ち着いた雰囲気で、性格も控えめで、やさしそうな女性でした。
両手の指は太く、指先に細かいひび割れが見られ、爪には垢が残っていました。
見たら、働きこんだ手だとすぐに分かります。

故郷は安徽省。「呉邦国(中国政府要人のナンバー2)さんの同郷です」と自己紹介しました
(私の同郷でもあります)。
42歳。20歳の娘と18歳の息子の母。十数年前、内装工事労働者の夫と一緒に上京。
息子は大学受験があり、田舎の実家にいますが、
北京で靴の屋台の店員をしている娘と一家3人で、12平米、家賃400元の平屋に住んでいます。


「これから出かけますが、一時間ぐらいで戻ってくるので、
 一時間後に来てもらえませんか?」


仕事を終え、自転車に乗って帰宅しようとした彼女・Zさんに
そう言いました。
「分かりました。では、ここで待ちますから。家が近いとっても、
 自転車で往復したら1時間半ほどもかかりますので」
と答えました。
座る場所もなく、空き地でひたすら待ち続けるというのは申し訳ありません。
私も自転車で出かけるので、結局一緒に行動することにしました。


「しっかり掃除しますから。もし近くの団地にお知り合いの方がいれば、
 ぜひ私のことを紹介してください。」
Zさんは何度も私に念を押していました。


春節前、合肥安徽省省都)でマイホームを買いました。中古住宅で、全部で46万元しました。」

 
 マイホームは18歳の息子のために買っておいたものだと言います。
 農村で暮らしていても、結局いつかは分譲マンションを買わざるを得ません。
「これからも不動産価格が値上がりし続けていくでしょう。息子が結婚する頃にはきっと
もう手も届かないような値段になっています。そうなる前に買わなければ。
これも家事お手伝い先の若い女性に教えてもらったことです。」


 自分たちの貯金と親戚からの借金で30万元を払い、残り16万元は10年間のローンを組み、月賦は2000元。
 「借りる時間が長いだけ、銀行に払う利子も高くつくので、5年で完済することを目指しています」。
 そして、次のフレーズを言い足しました。

 「お金はどこから来るか。それは、自分たちの両手で頑張っていくしかないのです」。


なるほど。だから、「仕事のチャンスを紹介してほしい」と何度も強調したわけです。


 Zさんの一日を聞いてみました。
 朝は7時半に家を出て、午前と午後はそれぞれ3時間ずつ、予約された家に行って仕事をする。
 昼はお弁当を持参し、雇い主の家で食べる。
 それを月曜から日曜日まで続けています。
 最近は、日が暮れるのが遅くなったので、午後にもう一つ仕事を入れたいと言います。


 夕方7時になろうとしています。Zさんはまだ我が家での掃除が終わりませんが、ドアノックの音が聞こえてきました。お客さんの到着です。
 京都からの来客・澄代さんから渡された袋には、どさっと日本の新聞が3紙も入っていました。
 「今日も関空からの飛行機はほぼ満員でした。中国の乗客が多かったので、日本語の新聞はずいぶん余りました。
 関空ではお土産を買い求める中国人観光客の姿は多く、中国人はこの頃間違いなく豊かになったのですが、何故か顔から輝きが消え、発展疲れのような顔でしたね。」


 そういう澄代さんも寂しそうな顔でした。確かにそう言える一面もあります。が、疲れも知らずに精を出している人が私の目の前にいます。
 お掃除はゴム手袋は絶対使わず、埃で真っ黒になった水も雑巾も恐れずに、手で直接雑巾を洗って絞り、モップのスポンジの部分も直接両手で水を切るようにしています。
 「お金は自分の両手で稼いでいく」。自ら宣言したとおり、元気に頑張っている人もいるのです。