140年前の円明園写真展 Chinaとトルコ

ご無沙汰しました。しばらく異空間に行ってきました。
無事戻ってきました。

昨日、面白い写真展に行ってきました。
なんと今から140年前になる円明園の写真が展示されていました↓
http://japanese.cri.cn/881/2010/08/04/181s161906.htm


北京の古い町並みの破壊過程を研究し続けているベテラン記者の王軍さんは
開会式後のシンポで円明園についての思い出を語りました。
「初めて円明園に行ったのは1987年のことでした。
田舎の貴州から大学進学で上京したばかりの頃でした。
円明園はまだ整備されてもおらず、入場券もいらない野放し状態の廃墟でした。
足を踏み入れたとたん、帝国主義への満腔の恨みで胸が一杯になりました。」


王さんより2年後に上京した私は、最初に円明園に入った時も同じ感想でした。
しかし、目の前の写真には焼き払われて13年目の円明園の風貌が撮影されています。
建物の大枠がしっかり残されていて、きれいな花びらの彫刻などもいたるところに散在し、往時の面影を忍ばせます。写真の中に、破壊された建物の中に出入りしていた人の姿も映っており、そのぐらいまだ廃墟らしい廃墟でした。
円明園は一日にして壊されたものではなかった」、これが率直な感想でした。


王軍さんは講演の中で、その後、「採石場化した円明園」について詳しく紹介しました。複雑な気分でした。


同じ会場で聴講していたもう1人の友達の王さんはぽろりと感想をもらしました。
「中国は何故『China』と言うのか、よく分かったよ。
 名前から“拆Naだもの」。
ただ、帝国列強からの破壊そのものへの評価ではないですが、建築美学の視点からこんなコメントをした友人の声もありました。
円明園は中国の建築物の中においても、“土而奇”(ださくて奇抜な)建築の代表的なもの。その流れを汲み取っているのが、最近の世紀壇やCCTV新社ビルなどです…」

シンポで自らの作品の解読をしていた画家の李斌さんの話もめちゃめちゃ面白かったです。青春時代は文革で北大荒で過ごした李さんは1987年〜89年、日本留学もしていましたが、現在はアメリカ籍。自らのことを「中国を愛するアメリカ人」と称し、「歴史への責任です」と言い、中国の現代史に感じている矛盾を自由自在に美術作品で表現しています。