乙武さんに導かれて 大陸くん、頑張れ!!

 同僚の息子さんが念願の早稲田大学政経学部に合格しました。政経学部は今年から「9月入学留学生コース」を新設したようです。募集枠は30人。このうちの2人が中国本土からの学生で、同僚の息子さんがその中の1人になったということです。
 私の職場は同僚が2000人以上もいるので、同じ部署でないと、お互いによく知っているわけでもありません。この同僚もそういうわけで、「日本のことがたいへん好き」な息子さんがいることは聞いていましたが、詳しくはお話を聞くチャンスがありませんでした。物静かで、子ども思いの強い母親という印象が強かったです。
 出発は9月13日。「一度ぜひ会ってやってください」と言われて、とうとう本日初めてお会いしました。それがきっかけになり、上海料理の丸いテーブルを囲んで、親子の物語を初めて知りました。そして、息子さんが早稲田大学に憧れていた理由も。
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 今から18年前の北京。協和病院の産婦人科
 オギャーオギャーと元気な産声があがりました。
 待望の新しい命の誕生です。
 「男の子です」
 しかし、取り上げた医師を驚かせたのは、その子の左手が肘の上までしか発育していなかったことでした。大事な「一人っ子」の誕生を迎えるため、定期健診は欠かさず受け、しかも、担当医師は全国でも名の知られている産婦人科医なのに。
 新米ママは母親になった喜びを味わうどころか、打ちのめされて夜な夜な一睡もできない日が続きました。睡眠剤を飲ませざるを得ず、本来は赤ちゃんを育てるはずの乳房も機能することに抵抗し、お乳はとうとう出ませんでした。
 「検査で見つけられず、申し訳ありません」
 医師からの詫びでした。
 「いつでもご両親が決断した時、しかるべき処理をする用意はあります」
 赤ちゃんの手足は体の前に丸まっているため、精密な機械でもなかなか正確に検出されないことがあるようです。

 受け入れるか。諦めるか。判断が迫られていました。
 「諦めなさい。大人になっても、1人でベルトも締められない人は、かわいそう過ぎるわよ」
 母親に言われた言葉でした。
 しかし、いくらなんでも、自分の体からこの世に送り出した命です。どうしてそんなに簡単に諦めることができるでしょう。
 決め手は哺乳係の看護婦さんの言葉でした。
 「あなたの子はとっても元気ですよ。一番泣き声が大きい上、飲むミルクの量もみなより多いです。それに、誰よりも早くお腹が空くようで、いつも真っ先に泣き出して、ほかの子がそれを聞いて泣き出すんです」
 こうして、受け入れて育てることにした男の子は、「大陸」と名づけられました。瞬く間に大陸くんは小学校入学の年になりました。

 母親は「なるべく普通の環境で教育させたい」一心で、公立学校を何箇所も尋ねました。しかし、帰ってきた返事は「手のない生徒は受け入れることができない」という言葉ばかりでした。
 「子どものためになることなら、どんなことでもしたい」
 たどり着いたのは、北京郊外の「貴族学校」と呼ばれている寄宿制私立学校でした。こうして、大陸君は小学校1年生から寮生活をすることになりました。
 突然始まった寮生活に不便を感じ、また、寮生活をしているうち、やはり自分とほかの人との違いに気づいたからでしょうか、大陸君はどんどん内向的な子になりました。体を動かしたりすることももちろん好きではありませんでした。

 三年生の時のことでした。
 本屋をぶらぶらしていた母親の目に、電気車椅子に乗っている青年の表紙の本が飛び込みました。身動きが取れないほど電流が背中を走りました。
 題名には五体不満足』 乙武 洋匡著と書かれていました。

 「わが子を救うヒントがそこにある」
 食い込むように読み、大地君にプレゼントしました。暗闇の中に浮かんだ明かりのようでした。

 小学校6年になると、学校はカリキュラム上、全員、アメリカ留学をすることになっています。この時の体験により、大地君の性格はガラッと180度変わりました。
 「黒人の子ども仲間に引っ張られ、いやいやバスケの友をさせられました。しかし、やっている内にめちゃめちゃ面白くなり、好きになりました。ぼくのバスケの腕、なかなかのもんですよ。バスケの時はもちろん義手をはずしてやりますが…」
 自信満々の大陸君。義手のことをなんとも思っていないようです。
 「ぼくは水泳も大好きで、ぼくの泳ぎはとっても速いですよ」
 さっきまで早大でバスケットボールをする場所があるのかな、と悩んでいた大陸君は、戸山キャンパスに高石記念プールがあることを聞くと、瞳まで微笑んでいました。

 2008年、高一の夏休みのことでした。
 前の年の高校受験合格へのお祝いに、両親が大陸君に送ったプレゼントは「海外旅行1回分」でした。
 「好きな国、どこでも選んでもいいよ」
 選んだのは乙武さんの日本でした。同級生と二人でツアーに申し込み、8日間の訪日に旅発ちました。しかし、大陸君にとって、その旅行は決して旅行だけが目的ではありませんでした。
 「ディズニーランド見学」というたった一箇所しかないオプションプランの時間帯、大陸君は同級生と早稲田大学東京大学のキャンパス見学に出かけました。
 「やっぱり早稲田が大好きだ」。
 その時から高校卒業後の進路をすでに決めたようです。

 高校時代はたいへん楽しく過ごせました。大陸君の大活躍の時代でもありました。彼の高校は100年以上の歴史がある名門高校ですが、何故か文学サークルがありません。「文学社を作らなくちゃ」と動き出した大陸君は、10人ほどの仲間を率いて、企画、執筆、編集、そして何よりも様々な「塾」を回って、スポンサー協力に奔走していました。お陰で、サークル発足時、学校から800元の支援金が拠出されましたが、卒業時は、編纂した6冊の雑誌とともに2万元の経営黒字も出しました。
 得意科目の英語でも記念すべき好成績を得ました。小学6年の留学でスラッグ言語や黒人たちの英語まで使いこなせ、「君の英語、オバマのようなしゃべり方をしているね」と冗談交じりで言われていました。
 「そのアクセントを何とか乗り越えたくて、毎朝起きて、ブッシュ大統領クリントン大統領の演説を繰り返して聞いて、まねしていました」
 努力は成果を実らせました。北京大学主催の全市高校生向けの英語弁論大会「子ども国連裁判所」では、大陸君は出身校を代表して参加。学校として初めて出した選手でした。それなのに、一発で全市のチャンピオンをもぎ取りました。

 高校のクラスには全部で40人ほどいますが、全員大学への進学が決まり、結果的に、そのうちの6〜7人が直接海外の大学への入学が決まりました。
 大陸君の両親としては、「まずは国内の大学を出てほしい」考えのようです。しかし、現実として、願書記入や健康診断表には「身障者かどうか」の欄がありました。「身障者を採用しない」という内容の書面こそないですが、「記入すればまずは採用されません。記入しなければ面接時に合格は無理でしょうし…」
身障者の大学入試にはハードルがないとは言えない現状です。

 しかし、両親のそうした思惑とは関係なく、大陸君の目標は一つしかありません。
 もがいていた自分に力をもたらしてくれた乙武さんの母校・早稲田大学に行きたい。できることなら、乙武さんが勉強していた政経学部に入りたい。しかも、政経学部は運良く今年から英語コースが設けられました。
 とりあえず、オーソドックスな国際教養学部と合わせて願書を出しました。
 国際教養学部の入試は試験官が北京を訪れ、面接を行う形で行われ、結果も早々と分かり、採用と決定されました。しかし、本願は政経学部です。
 三回も論文を提出し、最後は試験官が4人も出てくるテレビ面接でした。 
 おりしも、その中の1人は乙武さんを教えていた指導教官のようでした。面接の中で、「あなたの論文にMovingさせられた」が連発されたようです。
 そうして、感動した先生たちの歓迎を受けて、大陸君は見事念願の早大政経学部入学が見事に実りました。  
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 簡単に紹介すると、以上が一ヶ月後に晴れて早大一年生になる北京の青年・大陸君の物語です。
 大陸:「定期健診で手がないことが見つからず、ほんとによかった。ほっとしました。でないと、今のぼくもいないから。」
 母親:「お医者さんは後ろめたさで詫びてきましたが、今振り返ると、詫びる必要はなかったですよ」
 大陸:「だけど、乳を飲ませてくれた人がお母さんだとすれば、ぼくは牛のことをお母さんと呼ぶべきだよな」
 …
 たわいない親子の対話が続いていました。笑の中で葛藤も悔しさもショックもすべて溶け込み、安心と誇りで満たされていました。
 もちろん、祖母に心配されていた大陸君の「自力でのベルト締め」は問題なくできるし、「生まれつき片手しかないから、何でも片手でやるのが当たり前になっている。パソコンも問題ないですよ」。
 ちなみに、大陸君は京劇の「花Lian」が上手で、小学校時代に稽古を受けていたようです。アニメやPOPsなど若者文化には疎いのが意外でしたが、愛読書には新渡戸稲造の『武士道』(英語版)、周作人の書いた日本のエッセーなどです。
 将来の夢は国連職員、もしくは思いっきり経営の道を歩むと考えているようです。
 乙武さんに導かれた中国人少年。早大に行ってからもぜひ大きく羽ばたいてください。応援しています!