春節の休暇、明けました

 ご無沙汰しました。
 春節の帰省でしばらく休暇をとりましたが、本日で職場に復帰しました。
 8ヶ月ぶりの故郷・安徽省池州市は、今年も驚くほどの急変ぶりでした。その変化は一言で言いますと、オリンピック精神ではないですが、「より速く、より大きく」ということだったのかな。

 たとえば、町並みが急激に変わり、かつてよく歩いていた大通りが百パーセント新しい建築に様変わりしたこと;
 たとえば、町部の面積がどんどん拡大され、新しい団地やストリートができたこと;
 たとえば、昨年の帰省時まで繁盛していた野菜自由市場が突然立ち退きが決まり、とって変わって、高層ビルの開発が始まろうとしたこと;
 たとえば、拡大された都市部の外回りを回ってみると、コンピューターゲームのように無機的に増殖した団地や高層ビルがたくさん聳え立つようになったこと;
 それから、昔は漢字表示の地元の中学や高校が昨年秋に始まった新学期からすべて数字番号に変わったこと。これには90年ほどの歴史があるわが母校も逃れることができず、もともとの中学部は独立して「第11中学」、高校部門は「第1中学」にそれぞれ名前が改められました。もう一つの由緒ある「杏花村中学」も無残に思えるぐらいに「第16中学」に変身させられました。
 高校一学年の人数にも目を見張りました。
 「20クラスです」
 私のときは4クラスでした。
 もっとも、これはまだ人数が少なめなほうのようです。省都合肥の名門校「第一中学」は4年前から一学年40クラス(合計2000人)に膨張してきました。その高校の3年生である甥っ子の話では、40クラスの中身には「理科に秀でるクラス、英語に秀でるクラス、全省生徒を対象に募集した『安徽班』(10クラス、500人)、合肥市生徒を対象にした『合肥班」(18クラス、900人)、卒業後アメリカの大学に直接進学し、外人教師に授業してもらうクラス」などに分けられています。
 校舎は新規開拓した郊外の平野のど真ん中に新たに整備されており、市内から遠いので、ほとんどの生徒が寮生活をしています。
 「寮は4人部屋。全部屋にエアコンが取り付けられている。ある生徒の親がわが子に快適な環境で生活、勉学してもらうため、6000人がいる学校のすべての寮の部屋にエアコンを寄贈した」そうです。 
 ...聞くと、目を見張る話がたくさんあります。

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 省都の話は別として、揚子江南岸の池州にあるわが母校の新キャンパスも市内からは遠く離れており、昔のように市内の生徒なら、自転車で通える範囲ではない。新しくできたキャンパスはとても明るくて、綺麗そうで、運動場は赤と緑の二色のゴムでできており、昔では考えられないほどのちゃんとした運動場です。しかし、きれい過ぎて、地形も平坦過ぎたからでしょうか、気分が滅入った時にしばらく身を隠して、友達と内緒話をしたりできそうな隅などがどこにもない。たとえが悪いですが散策すれば、大通りのど真ん中を歩かされているゴキブリのような気分です。
 やはり、大地主の屋敷を取り入れて改造した昔のキャンパスが、とても懐かしい。幹の太さが異なる木々が生い茂っていて、四季折々の花や草木の匂いがありました。地形の起伏があり、朝の朗読にもぐれる小さな杉林がありました。生物の授業の時にのみ、入園が許され、普段は満月のように丸い門の柵の向こうからしか眺めるしかない「植物園」がありました。濃い灰色のレンガでできた実験楼はキャンパスの角にあり、勉強したくない時、大人たちの監視の目から保護してくれる角にある階段は私の気に入りの場所でした。
 思い出せば、私の高校生活は受験勉強でたいへんでしたが、探そうと思えば、当時のキャンパスには至るところに、ストレスや心の緊張をほぐしてくれる仕組みや仕掛けがありました。その点、近代化された工場にも見える新校舎に行く生徒たち、気の毒に思います。
 
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 遠くなった話を戻しましょう。故郷の急変ぶりは地方経済の勢いの象徴であることは言うまでもないですが、目を覆いたくなる面もあります。
 これから高層ビルに変身する自由市場は立ち退かされましたが、当分は山のようなゴミの集積地になりそうです。周辺の団地も立ち退きが決まりましたが、デベロッパーの出した条件を受け入れておらず、最後まで踏ん張って住み続けている何世帯かあります。しかし、団地自体は解散させられ、ゴミの運搬、清掃機能が停止しました。ビルを取り囲むゴミの山の中で新年を過ごした人たちがいたようです。そればっかり、いくら自分が写真をとるのが好きだと言っても、そればっかりは、悪臭の放つゴミの山を撮る気分にはなれませんでした。
 ただ、たとえ暫時的だと言えども、こんな市の中心部に、ゴミの山の存在を許してしまった事実にたいへん悲しく思っています。
 
 今年は辛亥革命から100年の年です。この百年では天地が覆されたほどの変化が中国、もちろん全世界でも起きました。ただ、百年経ってもいまだ変わっていないものも感じました。良くも悪くも。市街地にできた「ゴミの山」現象も、もしかして、その変わらない面を映し出した出来事の一つかもしれません。それは、つまり、人々があまりにも上からの管理に慣れ過ぎたため、市民には本来、自らの生活空間を管理し、維持する力と義務があると気づいていない、もしくは認識が不足していることです。
 片方では高層ビルや近代的な新住宅。もう片方では市内地にできたゴミの山。この両者の並存する空間は、どう見ても「和谐」のある風景とは言えません。一軒一軒、住民たちの家に入ってみると、とても綺麗に内装が施されていて、快適な住居環境になっていますが、その家、その団地を出れば、みだりに散らかしたゴミで町並みは「疲労困憊」の色合いを見せています。そんな町だと、やはり尊敬を得るのは難しいと思わせた今回の帰省でした。
 「革命未だならず、同志なおすべからく努力すべし」。
 孫文の辞世の句は、今日の人々もしっかりかみ締めるべきものがあります。

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 ちなみに、昨年、全国人民が気が狂うほどにはまっていたネットゲーム・「野菜盗み」は、さすが勢いが衰えました。ただ、ネットは年々、その影響力を見せています。今年は天下のCCTVが史上初の「ネット版春晩(春節の夕べ)」を企画し、たいへん好評を受けました。
 「春節の夕べ」(春晩)は大晦日の晩に全国放送する特番で、NHKの紅白に相当する番組ですが、56の民族と360種類の業種に携わっている老若男女の関心事を万篇なく網羅しなければならない“使命”があるため、年々その評価が低下しています。そのような動きへの対抗措置というか、時代の動きを敏感にキャッチしたからなのか、“ネット春晩”に対し、“これは面白い!”という評価ばかりです。
 番組内容の詳細はこちらから↓
http://wlchunwan.cntv.cn/

もう一つ、最近たいへん良く聞く流行語に“杯具”というのがあります。これもネット用語から普及した言葉です。中国語での発音が同じである“悲劇”をもじって、“悲劇”よりはずっと軽い意味で“失敗した”、“ドジを踏んだよ”、“しまった”などを指しています。“杯具”(コップ類)は本来は名詞ですが、使い方として、“这下杯具了!”といったように動詞化して使われています。
 ちなみに、私の身近でつい最近この言葉を聞いたシナリオは、行き鳴れた親戚の家へ兄が運転して年始廻りに行った時、高架橋の建設と道路の再計画ですっかり方向に迷い、高架橋の下に沿って進んだら、行き止まりになっていました。その時、腕白盛りの今年12歳になる甥が、野次馬気分で“ハハ、杯具了!”と極自然に口にしました。