石碑の立てられているコンテクスト

 ここ数日、方正県の「日本開拓団民亡者名録」と書かれた石碑のことが、中国でたいへん議論になっている。
 圧倒的に批判的な声が多い。その中で、個人的に本日の新京報が比較的バランスの取れた紙面づくりをしていたように思っている↓
 

 一番最後の、歴史学者の余戈氏は、石碑の命名の仕方に疑問を投げかけ、「開拓民」は日本サイドの言い方で、初期の開拓民は軍隊ではないが、武装されていて、必要に応じて、日本軍の予備として人手を提供していた性質があることに鑑み、少なくとも「“”」を入れるべきだと指摘した。60年代、周恩来氏の指示で石碑が作られた時も「日本人墓」と漠然とした言い方をしていたが、いつの間にか現在の名前になって、県の名義で石碑を建てたことに疑問を出した。
 個人的に納得できる解釈だと受け止めた。

 【专家称方正县做法突破历史尺度 开拓团至少应加引号2011年08月05日 04:02 来源:新京报 作者:杨万国】 http://t.cn/a8pfLE 知名抗战史研究学者余戈:”起码应该在碑文主题的“开拓团”上加引号。修改序言,其中必须加上中国政府对开拓团的历史性质评价,并标明地方政府立碑立场。”

http://news.ifeng.com/mainland/special/rijunlibei/content-1/detail_2011_08/05/8191538_0.shtml

http://epaper.bjnews.com.cn/html/2011-08/05/node_16.htm

ちなみに、「石碑」のことを中国ではどのような文脈で報道され、評論されているのかについて見てみたい。
今日の新京報を例に、A25版に丸一ページの石碑報道だったほか、日本関連のニュースがもう2本注目されるべきだ(海江田氏が原子力担当の経済産業省高官3人を更迭した以外の本件関連ニュース)。
一つは先日発表された「防衛白書」、もう一つは右よりとされている歴史教科書の横浜市全市公立学校での採用だった。
 ◆A04「中国新聞 時事」版に 日本の2011年版「防衛白書」に対しては、
中国外交部が「中国脅威論を誇張させている」と日本政府を非難する記事が掲載されていた。
 ◆A30「国際新聞・区域」には、育鵬社の歴史教科書が横浜市の147箇所の公立中学で全面採用のニュースが掲載。
 テレビはまだ見ていないが、おそらく同じ構成だったと思う。今朝聞いた中央人民放送局の報道は同じような構成だった。
 同ラジオによると、横浜市教育委員会の上述の決定により、全部で3万あまりの生徒がこの教科書で歴史を学ぶことになっている。さらに、論説員のとげとげしいコメント(大意)で結ばれた。
 「今年の大地震の後、原発事故を受けて、子ども達を放射能の危害から守るため、一部の小中学校はキャンパスの地上の汚染された土を掘り返して環境の浄化に努力してきた。放射線は目に見えないものだが、人体に害がある。同じように、意識できないかもしれないが、精神的にもし放射能のような誤った歴史観で育った子ども達が大きくなって、その精神はどうなるのか。そのような教育を受けた子ども達が大きくなってから、日本がどうなるのか、懸念されるべきことだ」

 折りしも、東京にいるメディア界の大先輩のErliuziさんから大類氏のメールが転送されてきた。前後の文脈が分からないこともあり、外国人の私には、完全に読解できるまでに困難があるが、その中で、意外だと思った一段落だけをピックアップして貼り付ける。

 「この6月、別件で方正に行ったところ、石碑の基礎ができているのだと外事弁公室の方に見せられました。「?」と思いながらも、今回石碑がこんな形で出来上がっているのを見ますと、美観から少し疑問が湧きました。方正地区日本人公墓と麻山地区日本人公墓(鶏西市麻山で、集団自決した400名ほどが葬られている公墓で1984年に建立されたものです)のすぐ後に立っていて、景観からすると、かつての公墓の後方に広々と広がるさわやかな姿が一掃され、少なくとも私の美意識からすると拍手を送りたい気持ちにはなりませんでした。どうして側面の方に建立しなかったのか。
  また、5000名に近い人々は無理としても、もっと多数の名前が判明してから石碑を建てることができなかったのか、という疑問も持ちました。しかし、県政府の意向であり、関係者に個人的に少しばかり意見を述べるに留めておきました」

 個人的に、石碑を建てることも含めて、歴史をなんらかの形で後世に伝えることには反対しない。碑文の内容はまだ見ていないが、伝えられてきた情報では、やはり問題もあるように感じている。
 それにしても、方正県は一体、どうして、何故、性急にそうした石碑を作ったのか、疑問が残っている。