二つの「訪日」

つばめ、五ヶ月ぶりの日本を満喫


 春節休みの後半、早大で取り残された「宿題」をやり遂げるため、東京へ行ってきました。滞在中、大勢の方たちに並々ならぬお世話になり、お陰様で、5ヶ月ぶりの日本を楽しませていただきました。
 日本は早春の季節を迎え、梅の花が満開していました。私のいる一週間は、晴天に恵まれ、緑が多く空が青く太陽が暖かい毎日でした。今回の訪日でとりわけ、以下の皆さんに篤く御礼申し上げます。
 北京を発つ前日に、突然「明日からお邪魔しに行っても良いですか」と電話をかけたにもかかわらず、快く「は〜いよ!待ってるよ」と驚きもせずに、暖かく出迎えてくださった甲府のおじさんとおばさん。
 東京で一週間、ちゃっかり居候させていただき、お嬢さんと同等の待遇を享受させていただいたゆみ子お母さんご一家。
 素敵な日本庭園が眺められる駒場公園の和室を用意し、二回も会合を主催してくれた長久会の皆さん。
 3月の大歌舞伎の醍醐味を味わわせていただいた石山さん。
 「春が来たから、北京からつばめが飛来した」と笑顔で迎えてくださった朗読アンサンブルれもんの会の岡崎先生を初め、先輩の皆さん……
 この他にも、ご多忙にもかかわらず、わざわざ席を設けてくださり、電話をかけてくださったり、東京を案内してくださったりしたすべての皆さんに心から謝謝!

 

 
2月26日 甲府下積翠寺町からの眺め。久しぶりの雪山連峰に感動

久しぶりの甲府は未曾有の賑やかさ。風林火山で大ブームのよう!写真は武田神社


2月27日 早大の早咲き桜。確か、昨年は卒業式の日に、花が満開だったこの木の下で
記念撮影を撮ったように覚えていますが…『不都合な真実』ではないですが、これも温暖化の影響?


3月2日 東銀座「歌舞伎座」『義経千本桜』鑑賞。「寿司屋の権太」は悪役だったにもかかわらず、その後思わぬ展開があり、役作りもとても生き生きとしていて、忘れられない。源九郎狐の演目に心が打たれました(演技もストーリーも)。親狐を慕って、両親の皮で作った堤が叩かれると直ちにそばに現れる子ぎつねの親思いが感動的なものでした。たいへん日本的な何かを感じさせたステージでした。早代わりのわざも迫力を感じました。


3月3日 ひな祭り。ゆみ子お母さんのひな壇。折り紙はお友達からの贈り物

ゆみ子お母さんの心のこもった手料理。毎日、朝からこんなに贅沢なメニュー!うどの味、初めて知りました。どれもたいへん美味しくいただきました。

「小さな省エネ」に励んでいるゆみ子ママ、冷蔵庫にもビニールを貼りました!


3月3日夜の渋谷 何時になっても渋谷は人の山人の海。しかし、いたる角度もあゆさんに取り囲まれた渋谷の夜は、何となく少し不気味な感じもしました…

 
3月4日 夕暮れの東京湾。ララポートからの眺め。
真実味の薄い幻想的な世界。
いつもwonderfulな日本を見せてくれたレイお姉さん、謝謝!



ゆみ子ママの子どもたち。ジュニとももとピッピちゃんです。猫にも性格がそれぞれ異なっています。


3月5日午後、成田行きリムジンから眺める東京湾。午後から天気が崩れるのか。滞在中、毎日快晴に恵まれ、お天道さまに謝謝!


 行きが2時間55分、帰りが3時間55の北京⇔東京の旅。私にとって、日本というと、大勢の友達の顔が思い浮かび、行けば会いたいと思っていますし、また、皆さんにとっても、来てくれた私を暖かく迎えてくれています。だからこそ、日本は私にとって近くにある国と感じたと思います。


 帰りの飛行機はずんずん沈んでいく夕日を追っかけて、西へと飛び続けました。太陽が完全に沈んでいく前の最後の光が、細長く空のかなたを彩り、前方をオレンジ色に染めました。夜の帳が下りた後、真っ暗な空を飛行する飛行機は何度も、光り輝く透明な発光体の上を飛び越えました。下界がこんなに美しく、暖かく見えたことはなかった。それらの明かりを過ぎれば、またもや飛行機が暗闇に突入しました。確かに、どんなに大きな町の明かりも、とてつもない巨大な暗闇に対して、ちっぽけな存在でした。しかし、燃え続けている町の明かりは、暗闇に対する人間の果敢な挑戦にも見えました。力強く、美しい光で、ホームシックを誘う美しい景色でした。


★エピソード:ピックアップ東京★

 夜の西武新宿線。酒の匂いが社内で漂っていました。私のすぐ隣に立っている作業服のお兄さんもほっぺたが桜色で、ほろ酔いの表情でした。帽子を被り、作業服は土で汚れていて、一日のハードな仕事を終えたばかりの土方工事の動労者なのでしょうか。電車が揺れ、降りる人に道をよけるため、そそっかしさの中、私は思いっきりお兄さんの足を踏んでしまいました。
 「ごめんなさい。大丈夫ですか。」
 慌てて謝りました私に、お兄さんはにっこり笑いました。
 「痛かったです。でも、大丈夫ですよ。男ですから。」
 本当に痛そうでした。しかし、礼儀正しく応答してくれました。
 最後の一句に感動。まるで演劇役者のような台詞をすらすらとしゃべっているのではありませんか。
 今回の訪日で、知人の中には、チカンと疑われたくないため、「電車に乗る時、必ず両手でつり革をつかむようにしている」人や、ちょっとぶつかっただけで若者に蹴飛ばされたアンラッキーな体験をした人がいました。それだけ、こんなにしっかりしている紳士的な日本人の男の健在に嬉しく思い、心から敬意を払います。


もう一つの「訪日」

 帰国後、くしくも、さっそく合肥にいる兄から連絡が入り、「近く会社主催の旅行で日本に行ってくることになった」との近況報告でした。合肥で建築関係のエンジニアをしている兄は本当のところ、日本というと、不愉快な思い出があります。数年前、訪日団体ビザがまだ中国全土で解禁されていない頃、兄の勤務先は一度訪日計画をとんざしたことがあるからです。
 「日本って、本当にいやな国。旅行で行ってみようと思っても、受け容れてくれない」。あげくに、旅行先を韓国に切り替えたという体験があります。
 さて、今回こそ無事行けそうで良かったねと思おうとしたところ、意外にも、前回と変わらない台詞が聞かされました。
 「日本って、本当にいやな国。何故、旅行しに行くにもかかわらず、一人当たり5万元(訳80万円)も保証金を払わなきゃならないのよ…」

 決してひねくれ者でない兄や兄の同僚たちの内心は良く分かる気がします。以前にも、「日本のインテリジェント住宅の資料があれば、何でも集めてきてほしい」と頼まれたことのある兄は、日本の技術を尊敬し、溢れる好奇心で、先進国の日本をこの目で見てみようと思っています。また、可能ならば、日本の会社とビジネス往来も始めたいなということも考えているようです。しかし、特につてもない地方に暮らす中小企業の人間にとって、現実的にはこのような不自由があり、日本は自分たちを決して歓迎していないのではないかと思わせる規定にだってぶつかっています。「いやな国」という感想はそういったところから生まれた複雑な日本像かもしれません。
 大勢の日本人の友人に恵まれた私と日本人の知り合いを一人もいない兄たちにとって、日本はまるで別の国のようです。私にとって、日本というと、一人ひとりの友達の顔が思い浮かべますが、兄とその同僚にとって、日本は曖昧模糊なコンセプトの塊に過ぎません。果たして団体ツアーでどのぐらい日本人と触れ合い、日本の社会が見学できるかは、やや心配もしていますが、とりあえず、こんな兄の訪日感想を楽しみにしています。