清明時節

 
 北京は一週間ぶりに晴れて、気温も上がり、花も咲き、春うららな一日でした。昨日、東京の友達とMSNでチャットした感じでは、天気があまり良くないらしく、さくらの花も一旦咲きそうになりましたが、またもやスピードが鈍ってなっているようです。
この調子では、28日まで開花が無理かもしれません。28日は兄たちの帰国日で、たいへんな手続きをしてからの日本旅行なのに、しかも春の季節ですから、せめて綺麗なさくらでも見てもらって帰ってほしいのに…


 実家の両親は今日は江北の田舎に戻って、お墓参りをしてきたそうです。今日は霧のかかった一日で、江南の春らしい一日だったようです。お墓参りと言っても、今日は母方の田舎でした。参ったお墓の主とは、祖父の以前の妻(祖父のお墓は江南にある)、祖父の弟、祖父のいとこ夫婦、そのいとこ夫婦の子ども夫婦などです。同じ村で軒を連なって暮らしていただけあって、みな家族のように付き合っていた人たちばかりでした。


 子どもの頃、清明節前後になると、あちらこちらの畦や野原で見たこともない人たちが出歩くようになります。お墓は家の裏にあったり、村はずれにあったり、野原にあったりしています。皆さんはだいたい、手提げサイズの竹かごを持って、中には火の通したお肉や鶏を入れて、お墓の前に来ると、紙銭を燃やして、白酒を地面にかけて、御幣のような白い紙で作ったマークを土饅頭の上にさしていました。


 昔の人は本当に命や祖霊を大事にしていたと思います。祖父の前妻は結婚まもなくしてなくなり、子どもはいなかったが、今でも、毎年忘れられることなく、供養されています。覚えられている限り、その人がかつて、活きていたことに十分に敬意が払われるのです。こんな古い仕来りは、両親の代まで大事に守ってきていますけど、北京で一人暮らしをしている私にはこれらと長いこと縁のない生活をしています。中国の変化が大きいだけあって、両親の代と私の代の生活には、やはり大きな断絶があるようです。決して良い変化と言えませんが、仕方のないことでもあります。


 北京もいつもは人まばらの八宝山は、これから年に一度の賑わいを迎えます。ところで、八宝山は私の職場の近くにあっても、私のことを見守ってくれている祖霊はそこにはおりません。出稼ぎ先というのはやはり寂しいところですね。


 3月29日、CRIインターネット対話関連情報は以下から↓
http://japanese.cri.cn/81/2007/03/22/1@89585.htm