つばめ写真@迷笛/1919年の「五四」と21世紀の「五四」

迷笛音楽祭の写真は以下から↓
http://japanese.cri.cn/81/2007/05/06/1@92934.htm


「迷笛」の開催は、
中国で若者文化の誕生を意味する象徴的な出来事だという言い方がありますが、
以上の写真をご覧いただければ、イメージをつかんでいただけるのでは
と思います。


本日は「五・四」青年節。
大先輩の澄代コーチの案内で、胡同めぐりをしてきました。
それにしても、自分のまわりに、
中国人以上に中国のことを知っている日本人友達の多いこと!
ステージ情報に詳しい人、バス路線に詳しい人、胡同に詳しい人、
美味しい店に詳しい人…
北京在住暦18年目に入るつばめは完全に負けています…


さてさて、本題です。
その一)


2月ぶりに北京に降臨した澄代コーチは
本日、テニスとスキーの指導ではなく、
北京胡同観光ガイドに変身。
声量の大きく、響きの良い京都弁での胡同案内でしたが、
勉強になることが多かったです。
何と何と、つばめが一度も歩いたことのない胡同ばかりでした。
(ひゃ〜〜恥ずかしい…)
地安門と平安大街の交差点あたりにある「米(米良)庫胡同」からスタートして、
北海公園の裏、景山公園の傍の横丁を歩き、
沙灘の京師大学堂旧跡を抜けて、五四大街に出て、
北京大学図書館の「紅楼」を見学。
皇城根遺址公園でお弁当を食べた後、
東四あたりの章太炎、葉聖陶、呉ハイフ、
梁啓超などの故居をたずねてみました。


たずねて分かった場所もあれば、跡も形も残っていなく、
現在の住民に尋ねてもさっぱり分からないところもありました。
逆に、思いもよらず、大人物の邸宅の場所もいくつか判明し、
胡同の中の小学校や老人ホームなどの見学もできて、
意外な収穫もありました♪
高層ビルは無機的な建物であるのに対し、
胡同は実に有機的で、落ち着く場所だと改めて思いました。
家々の台所から漂わせてきたお料理の匂い、
窓から漏れてきた家の中のおしゃべり、
生活の匂いがぷんぷんしています。
高層ビルの団地では期待できないことと言えます。
また、家が狭いためもあるかもしれませんが、
その辺のえんじゅの木の下で、将棋を指すのに夢中になっているお年寄りたち、
何の隔たりも無く、自然に一緒になって遊ぶ子どもたち。
胡同には様々な匂いがあり、音があり、風景が広がっています。
だから、胡同に命が吹き込まれたように思います。
それから、
くねくねした道を心細そうに歩いている時、
その辺にいる胡同の住民は実に自然に
「そちらは抜けられなくて、こちらをどうぞ」と声をかけてくれるところも、
ホットします。


本題その二)
紅楼では五四運動関連の展示をやっていました。
民族と国家の決起のため、拳を振り上げて街頭演説をしている
1919年の熱血青年の写真がありました。
旗を掲げてデモ行進していた人群れがあり、
そのほとんどが若者でした。
ふっと前日、通っていた迷笛音楽祭の熱気を思い出しました。
同じく情熱を燃やしていて、同じく、旗を掲げていました。
ただし、21世紀の旗に大きく掲げていた文字は
国家や民族ではなく、「頽廃」でした。
見た目的に正反対な方向を歩んでいるようです。
しかし、私はその中から一貫性を感じたように思います。
「頽廃」の旗印で求めようとしているものは、
「自我」であり、「内面」のことであり、言ってみれば、
アンチイデオロギーのキーワードです。
国の形がまだできていなかった頃に、
青年たちは前近代的な束縛を打破して、
近代国家の体制作りの必要性を訴えていました。
対して、現在の青年は、今の時代に欠けているものを訴えています。
それは、イデオロギー的束縛からの解放、
自由な精神で考えて、行動し、
与えられた価値観ではなく、自分たちの価値観を確立することではないかと思います。
そういう意味で、今の時代に、
「頽廃」はたいへん効果的なキーワードと言えます。


憶測かもしれませんが、一つの予感があります。
現在の人々はたいへん敬意をもって、
1919年の「五・四運動」を評価しています。
同じように、21世紀初め、野外音楽祭で燃え上がる若者の
作り出した価値も、もう百年しないうちに、
人々に見直されるのではないでしょうか。

20世紀初頭、街角で辮髪の人を見れば、
はさみでそれを切っていた革命軍の若者がいました。
切られた人の側に立って見れば、
「テロ」同然の行動に違いありません。
青年の行動には同時代の他の人から見れば、
理解しにくい行動が多いかもしれません。
21世紀初め、盛んになりつつある中国の野外音楽祭で、
モヒカン頭や奇妙なファッションをし、
歌詞も分からない激しいリズムに乗せて、
ステージで暴れるロッカーたち、
そして、「頽廃」の旗を担いで、
そこに集まってきた数多くの青年たち、
及び彼らの作り出した若者独自の文化と空間の持つ意味は、
きっと今の人たちにまだ分かっていないものがあるように思っています。