シリンゴル大草原帰来

取材で、一週間シリンゴル大草原へ行ってきました。
大草原に入るのは、私にとって、14年ぶりの2回目です。
草原に行っていないのは久しいが、草原の色々なことは、
モンゴルの歌声からよく聞き、
内モンゴルの同僚や友達からよく聞き、
また、彼の憂いから察してはいました。


元同僚に、ブレンバヤールさんという歌手の方がいました。
ホロンバイル大草原の生まれで、同じく大草原で
生まれ育ったオウェンク族の歌手の方と結婚して、
北京で20年近く暮らしている方です。
しかし、北京にいても、「一日だって、草原のことを思い出さない日はない」。
以前お話を聞きに行った時、奥さんと二人して、
長いため息をつきながら話していたことが、妙に脳裏に焼きついています。
内モンゴルの草原は気候が寒くて、生態圏がたいへん脆弱だ。
 いったん破壊されると回復はたいへん遅い。
 草原は無理して工業の発展をすることはない」。
ブレンバヤールさんも奥さんも口をそろえて言っていました。
彼は歌の中で、哀願に近い歌詞を歌っています。
「山中の果物は好きなだけとってください。
 ただ、ただ、私の草原を変えないでほしい」。


彼らの故郷・ホロンバイル草原は総面積25.3万平方キロで、
日本の半分以上の広さです。
ここは北半球の「緑の肺」と呼ばれ、今でも北半球の気候変動に
影響していると言われています。
過去に、内モンゴルにはホロンバイルと肩を並べるほどの規模の草原は、
4箇所もあったと聞きます。

しかし、今は残っているのはシリンゴルとホロンバイルだけとなりました。
北京のスーパーでは、内モンゴルの子羊の冷凍肉がどんどん増えています。
では、これらの羊たちを育てた草原は、一体どうなっているのでしょうか。


遠いところに行きたい。
大草原のいざないが聞こえてきそう。
衝動にかられ、急遽、強引に取材団に参加させてもらいました。
しかし、到着した後も、思いの中の遠方には
なかなかたどり着かないことが分かりました。


旱で喘いでいる大地、低くて、密度の薄い草、
そして、奥に向かって歩いて見ると、
ところどころ大きな口をぱかっとあけたような穴、穴、穴。
草原を蝕むジリスのすみかのようです。
地下には中国二番目の大きな炭鉱が眠っています。
ところどころ、柵で囲い込まれてあり、
「秋にも露天掘りの炭鉱が採掘始める」と地元の方が紹介してくれました。
また、突如と現れる化工工場のタンク、
景観が14年前のイメージとは大きく変わりました。


草原の町は町と牧場の間に、過渡の郊外はありません。
町自体が大草原のどまんなかに建てられてあり、
一歩でも町を離れると、果てしない大草原が広がっていました。
広大な風景に慣れると、北京に戻ると、高いビルやうっそうとした
夏の木々で視野がさえぎられ、何ともいえない圧迫感を感じます。


振り返ってみますと、私の草原の旅はブレンバヤールさんと奥さんの
ホームシックを思い出しながらの旅でした。
一度、草原の雄大さを体験したことのある人は、
きっと草原のことは忘れられないと思います。
草原は羊、牛、馬を育て、人間を育てただけではなく、
モンゴル文化そのものの土台でもあります。
発展と環境保護の両立、果たしてどこまでできるでしょうか。
地元の人たちも結果の予知できない賭けに出ているようです。


旅の見聞など、また改めて整理します。
今や、旱の大地に、一滴でも
多くの雨が降られますことを祈っているだけです。