天府の国はまだ快適な秋

仕事がてら旅行で2泊で成都に行ってきました。
前回は8月末でしたが、町の中はまるで歩けなかった出張でした。


<飛行機の臨席、『五番街のマリー』を思い出す>

行きはとても大きな飛行機でした。国際便でよく見かける四五百人乗りのジャンボ機。
満席で空席は見当たらなかった。
どうりで、待合室も春節時、帰省ラッシュ時の駅のよう。
となりの席は北京アクセントの40代半ばの男性。
理路整然とした話しぶり。分析力に富み、勉強もよくしていて、
冷静に周囲と自分自身を見つめている。
国家体制から日中関係、教育まで、
珍しくも内省型の思想様式の持ち主のようだ。
メディア系か研究者かと思っていたが、
会社の経営者で、青少年の素質教育の熱心な推進者のようだった。
何という偶然だったのか、「日本」の話題から話がどんどん展開していった。
「ぼくの昔の友達の中に、両親があなたの先輩にあたる人がいた」。
男は話を切り出した。
名前を口に出したが、私の知らない名前だった。
続いて、両親の特徴を語り始めたが、
今度はすぐに思い当たる人が出てきた。
こちらからも特徴をピックアップして聞き返すと、
同一人物だと確認できた。
男は何か話したかったようだが、もうひとつの自分がいて、
話してはならないと抑えていたようだった。
「一緒に、起業した仲間だった。けど、彼女に申し訳ないことをしてしまった。」
もう音沙汰途絶えて、20年近くになる。
「何かの誤解があったと思う。説明しきれていないまま二人は別れた。」
「みな仲間で、仲良しなので、
 共通の友達に、逆に、絶対彼女の行方を聞かないようにしている。」
復興門近くの政府省庁の団地で生まれ育ったグループだったそうだ。
映画「太陽の少年」のことが思い出される。
しかし、本人いわく「ぼくらの体験は、あの映画よりもずっと面白い」と言い切った。
その後の経緯は知る由はなく、20年近く経った今、
男は中学生の娘のいる父親になった。
しかし、相手のことを気にかけている気持ちは変わっていないようだ。
男が若きころ、伝えられなかった言葉はいったい何だったのか。
今でも、再会してもう一度きちんと説明したいのだろうか。
すっきりしない別れ方をした男は、
「彼女は今、元気なのかどうか、知りたい」と懐かしそうな表情を浮かべ、
頼んできた。
若いころに、こういう後に残すようなことは、
絶対すべきでない。
五番街のマリー』を歌う男のストーリーでした。