今日のTaxiDriver:中国初の壁紙工場にいた

40代半ばの親切そうな運転手でした。
朗らかで、おしゃべりが好きです。
顔色が青白くて、明らかに運動不足のようです。
「7年間で20キロ増えた」。
じっと動かないので、体重がどんどん増えたようです。


家は周口店(房山区)付近にあり、市内から50キロ離れています。
房山にいれば、客が少ないので、
市内に出なければいけないようです。
近所の人と一日置きに交代して、運転手、
二人で手数料を分担しています。
車の引渡しは昼の12時。場所は市内にある周口店行きのバス停。
1時間以上もゆらゆらして乗る長距離バスです。
市内で家を借りると、家賃や生活費がかかるので、
通うのが不便でも、特に市内での借家は考えていないといいます。
「どうしても眠い時は、車の中でしばらく寝ることにしている」。


7年前までは、工場で労働者していました。
由緒ある工場で、今でも、昔の盛時の様子を話すと、
誇らしげになります。
「1970年代末、日本から設備を導入して、
 壁紙を作っている工場です。
 中国初の壁紙工場でした。
 長城飯店など、昔の高級ホテルはすべてわが社の製品を
 使っていた。
 当初は、中国は物資不足で、
 壁紙も配給券がないと、買えなかったほどでした」。
工場は一時期800人規模にまで膨れ上がり、
壁紙を求めてやってくる人たちが殺到していました。


市場経済の動きが始まると、当初は北京市建材局に所属していた
工場も個人に売り下げ、民営企業になりました。
経営の仕方が変わり、また、市場にも変化がありました。
「昔は、家庭用でもよく使われていたし、
 作ったものはすぐ売れましたね。
 今は家庭では、壁を塗るのは、ペンキが主流になりまして…
 ものが溢れている時代なので、
 わが社の製品を選んだセールスマンに逆に、
 バックマージンをあげなければいけなくなりました…」


1000元ほどの月給には満足できず、自ら退社届けを出し、
タクシーの運転手になりました。
「早く出て、よかったと思う。」
同期の人は、その後、会社のレイオフに遭ったり、
残っていても、景気がよくありません。


激しく変わりつつある時代を生きている一個人。
ようやく渋滞を脱出した深夜の北京を、
走り続けています。
過去や周りをうらむ気持ちはなく、
健気に眼前をがんばっているだけです。


6万台以上ある北京のタクシー。
その運転手の一人でした。