パンダママと“70后”中国人青年の物語

NHKラジオ中国語講座』での連載コーナーで、
「奮闘している“80后”(80年代生まれ)」についてエッセーを書いたところ、
所沢のパンダママから「私の“70后”中国人青年とのエピソードをひとつ聞いて下さい」
とメールが寄せられました。
パンダママは名の通り、パンダが大好きな方です。
それも、お嬢さんと二人そろってのウルトラパンダファンなのです。
偶然に知り合ったのは、成都で、ある観光イベントに出席したことがきっかけでした。
親子でパンダに会いに行く旅や、ご自宅のパンダ博物館の写真を見せてくださり、
思いを聞かせていただき、
中国人以上にパンダ想いをしている人が日本にいることを初めて知り、心打たれました。
そんなパンダママからのメールです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それは三年前(2005年)春のこと。
当時、私は公園で毎日、中国体操をおばさん仲間同志でやっていました。
そこに26歳の大連人と称する青年・宇さんが現れました。
彼が言うには1月に大連人14人でこの所沢市の運送会社に研修生として来日した。
日本語を覚えたいので仕事に行く前に毎日、おばさんたちと日常会話をしたいとのこと。
食費の高い日本なのにたった2万円だけで暮らしているそうで、やせ細っていました。
おばさんたちは時々いろんな食材を彼にあげ、
私は毎日1本のスポーツドリンクを買って持たせて職場に向かわせました。
2006年1月15日、1年間の研修を終え“日本語”と
“80万円の貯金”を持って大連に帰りました。
2008年正月に年賀状が来ました。
定住地のない青年だったのに大連市の経済技術開発区に住所を得て、
自宅の電話も携帯電話も持てるようになっていました。
貧しさを力に変えた”70后”の青年の今後の幸せを願っています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
運送会社で宇さんたちは11時から夜9時までの労働とか。
我々おばさん体操は9時から40分ぐらい。
宇さんはその公園から10時20分くらいに
自転車で職場に向かうので、
その間におばさんたちとお菓子などを食べたり、もらったりして日常会話を続けたのです。
その会社は土、日曜が休みなので彼は自転車で走り回り安い食材探しをして、
午後は図書館に行って優しい司書さんからしっかりと日本語を教えてもらい、
夜はSocial Danceサークルの人たち(老人ばかり)から手を差し伸べられ
Danceにも参加していたようです。
宇さんの前年にその会社に研修生として来日した
中国地方出身の3人の女性たちには公民館長が彼女たちの生活支援のため公民館で、
1回2時間の中国語講座を3回開催して講師謝礼金をお渡ししました。
その後ずっと彼女たちの公民館ロビーでの有料の個人レッスンを館長は黙認して彼女たちを支えていました。
日本の片隅にこのような温情溢れる人もいることを報告します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
心温まる一般市民の間の付き合いは
パンダママとその仲間だけでなく、
ほかにもきっとたくさんあると思います。
もちろん、中国人と中国に来ている日本の方たちの話も。
餃子騒ぎで嫌中ムードが高まっている中でも、
食品のことは食品のこととして、ぶれない中国人との付き合い方をしている
パンダママをはじめ、数多くの日本の皆さんに感謝しています。