黙祷をささげる

北京は晴れ。25度〜10度。
青空は見えますが、ビュービューと強風が吹き抜け、
午後は一時期、風にのり、砂埃が部屋に大量に入り、
机の上がざらざらしていました。


死者の人数がぐんぐん伸び、今日で3万人以上を超え、
ある程度予想があるものの、やはり恐怖に感じてしいまいます。
マグニチュードのほうも、今晩の発表で、8に更新されました。
当初、想像していたよりも遥かに被害が甚大であることを物語っています。
今日も生存者が見つかったので、生命力の粘り強さに感動しました。



私の職場からは今日午後、四川への第二陣の記者・4人を派遣しました。
第一陣は16日、合同記者団の一員として2人を出しました。
今回の四人の中、私と同じ職場の同僚もいるので、
四川が一層身近に感じます。
応援したいです。



成都の坂本さんと電話が話しができました。
16日午後3時、九塞溝から飛行機で無事、成都に戻られました。
チケットの入手に苦労したらしく、結局
ファーストクラスのチケットをやっと入手したようです。
地震の前日、震源地のすぐ付近で乗っていたバスの事故で、
一時間も足止めされていたといいます。
無事で何よりです。
「たいへんな体験でしたが、中国人の暖かさを感じた」と坂本さん。
詳細は以下からです。
http://japanese.cri.cn/151/2008/05/20/1@118530.htm



夜8時頃、友達から携帯のショートメッセージが送られてきました。
「明日から三日間、国難で哀悼のため、厳かな衣装を着用してください」、と。
最初は有志たちの呼びかけかと思いましたが、
まもなくして、正式な発表があったことが分かりました。


局内では、突然呼び出されてきた各部門の責任者たちが
緊急会議を開き、番組の中に使われていた音楽を削り、
HPからめでたいコンテンツを削除する作業を大童でやりました。


一瞬にして万単位の人間の命を奪った大地震
初日で遭難した人にとっては、明日で「初七」を迎えます。
供養の最初の節目でもあります。
しかし、一方では、生き埋めになった人がいる。
まだ一度も救援隊が入れていない部落もある。
死亡者の人数がまだまだ更新されるかもしれない。
被災地のみならず、全国の人は皆、心が不安定なままで
救援活動を見守っています。
こんな中で、挙国黙祷をささげることを発表したのは、
それなりに意義があると思います。


苦しい時、どうしようもなく悲しい時、自分が一人でないことを
確認できることほど、力になるものはないと思います。


全国哀悼日で思い出すのは、数日前の新聞の投書でした。
「日本に学んで、5月12日を防災の日に指定しようではないか」、という
提案がありました。
これもぜひ取り入れると良いなと思います。



今晩、CCTV義捐金募集のイベントを行い、
私はほんの少ししか見られなかったですが、
良くも短い間で皆を集めて大きなイベントを開催できたと感心しました。


中国は挙国上げて、震災という敵と戦っています。
その戦いはまだ始まったばかりです。