こころのケア
ラジオをつけば、唐山大地震で肉親を失った「震災孤児」たちの
インタビューでした。
今回の大地震が起きた後、
彼らは寄付やボランティアに積極的に申し出を出しているそうです。
唐山の人たちのことは、ほぼ忘れられたのではないかと思いましたが、
そうではなかったのですね。
雪の被害の時も、自腹を切って、
被災地に応援しに出かけた農民のグループがありましたし、
今回も彼らはしっかりと声を出しています。
彼らの行動により、社会が記憶を蘇らせ、
彼らもそれで自分たちの存在をアピールし、痛みをアピールしています。
とても良いことだと私は思います。
「32年前の自分のことを思い出した。
子どもたちがどんなに苦しんでいるのだろう。
何かせずにはいられません。
現地に行って、入院している彼らの世話をしてあげて、
泣いている彼らの涙を拭いてあげて、
心細そうな彼らを抱擁してあげたい」。
涙を流しながら、取材に答えた人がいました。
肉親を失った悲しみは長く、長く残るようです。
天災が起きても、失う命が少なくて済むよう国や社会が
日ごろから最善の努力を努めるべきことを思い知らせています。
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最近は、こころのケアの話題が盛んに話題に出てきます。
被災地の子どもや人々だけでなく、
救援に行っている若い兵士(その多くは18〜19歳の高校卒業したばかりの青年のようだ)、
ひいては、被災地以外にいるが、
被災地の様子を常に気にかけている一般市民、
こころのケアが必要な対象はとても広いようです。
「全国哀悼の日」はそういう意味では大きな意義があったのではないかと思います。
今日で最後の日ですが、本当の戦いはスタートしたばかりです。
それはとても長い戦いと思います。
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CCTVの報道の貧弱さを感じます。
それにかなり疲労が出たようで、
今日は1時前に中放送が終わり、
しかも、途中は故意だったか、事故だったか、
突然、収録番組が流されていました。
切り口も単調です。距離も遠いです。
北京とブン川の距離が反映された放送の仕方です。
ある学者は、CCTVの報道内容は大きく、
「命の奇跡」と「政府の迅速な対応」という二種類に分けられると総括しています。
うなずけます。
現場映像の量が生放送開始時とそう大して変わらないところが、
やはり改善が求められると思いました。
マイクと電話機の組み合わせや
取材記者の写真の映像、
もしくはゲストとスタジオでのトークの映像が多いです。
四川テレビはまだ頑張っていますが、
さすが夜中から収録番組を挿入していました。
継続可能な報道の仕方も大事かもしれません。