譲席日+今日もせっせとテント作り

北京は曇り、気温は31度〜19度
南向きの部屋の中にいて、初めて蒸し暑く感じました。
夏はもう近づいています。


■譲座日■


毎月の22日は北京では「席を譲る日」です。
今日はちょうど22日です。
数ヶ月前からの試みですが、
まだ知っている人しか知らないような感じです。
ところで地下鉄の駅でこんなキャンペーンを見かけました。

直訳すれば、「席を譲ることはつまり被災地への応援の行動」、となりますが、
なんで、どうして、そう、いうふうに、なる、のか、
話に飛躍があるので、中国人の私でも良くつかめません。
まあまあ、善意的な気持ちであることは間違いないし、それだけは良く分かります。

さっそく、譲座日に、つばめは忘れられない体験がありました。
いつもぴんぴんしているのに、寝不足のせいなのか、
生まれて初めて、電車の中で急に貧血状態になり、
思わずしゃがんでしまったところ、
後ろから女性の優しい声がしました。「座ってください」、と。
天使のような声でした。
頭をもたげることなく、譲ってくれた席に座り、
お蔭様で、少しゆっくりしてから、すぐに回復しました。
しかし、誰がやさしく声をかけてくれたのか、とうとう知ることなく、
御礼を言うことはできませんでした。ありがとう!


■純愛■

試写会に行ってきました。涙ぐちゃぐちゃの映画でした。
戦争を背景にした人間性と愛について描写していた映画です。
かなり理想的(幻想的)作り方もあると感じましたが、
元は実話だったというところがすごかったです。
ヒロインの愛さんは、すばらしい女性でした。
中国国内での上映も許可されたようで、何よりです。
多くの人に見てもらって、
過ぎ去った過去とまもなくやってくる未来について、
色んなことを議論しながら、良く考えてもらえたらいいですね。


中国人の対日イメージが最近の一連の出来事で、
たいへん好転していますが、逆はどうなっているのか、
インターネットでの書き込みを見れば、とくに好転したふうには
感じられませんが、本当のところはどうなのでしょうか。


しかし、昨日のNHKニュースで
四川大地震の教訓を受け、国会が小中学校の耐震化に乗りだしていることを
聞き、心から敬意を表したいです。


地震報道が後方へ目を向ける■

さて、中国の地震報道に、
今日あたりから、内容に少し変化が見られたようです。
被災地の悲しみや緊急援助の様子などよりも、
後方に目を向けるようになりました。
被災地に必要な物資の生産をしている企業を取材し、
薬品、テント、食品、シールなど、
一生懸命に生産に励んでいる様子が放送されました。



■中国浙江省、テント作りに精を出す■
 


やはり、今日もテントの著しい不足を訴えていました。
全部で300万張が必要ですが、供給が追いつかない状態のようです。


中国政府は一ヶ月以内に、90万張のテントを被災地に送ると公言していますが、
国内のストックはそこまでないようです。
何せ、アウトドアということ自体は、ここ10年ぐらいやっと現れてきたことなので。
こうした中、今日、胡錦涛氏が中国最大のテントの製造基地・浙江省湖州市を視察し、
工場の労働者を励ましに行きました。
視察先は、今回の震災に実物寄付をし、
今回、それぞれ3.6万張と5万張の委託加工を受けている工場二社です。


このほかにも、薬品や食品、シールなど、
フル稼働している工場の製造の様子が放映されていました。
生存者たちの今後の生活確保がこれからの仕事の重点になるようです。


なお、温家宝さんは今日、二度目に被災地視察に入りました。
気のせいなのか、最近、髪の毛が薄くなったように見え、
やはり総理にとってもたいへんな毎日のようですね。



ちなみに、今日の四川テレビの報道では、
政府は三ヶ月で、100万セットの仮設住宅を設置するようですが、
現在、そのうちの6000セットが配送済で、
その中の3000セットはすでに到着しているようです。
しかし、100万に対する6000とは、気が遠くなる数字ですね。
加油


■「新京報」の伝える被災地


今日の社説によりますと、
被災地の飲み水と食料の不足が懸念されている、
蒼渓県だけでも、6万人の農民が基本的な生活保障ができていない。
茂県では、児童のための薬品が全面的に不足している、
また、50万人以上の人は肉親を失った重い悲しみから
抜けられず、心のケアが必要としている…と、指摘しています。


こうした中で、死者の人数が今日はまた更新され、
ショックの上にまたショックが重なっています。


■広元市、支援拡大要請で公開書簡■


今回の大地震で、広元市では4488人の死者(22日現在)が出て、
中でも、とりわけ「青川」地区の被害が甚大でした。
しかし、各地の被災程度を審査するとき、
広元は「重災地」扱いのみで、「極重災区」扱いにできなかったようです。
その結果、政府から至急された支援金に桁違いの差が出てきて、
新京報によりますと、初回の救済資金だけでも、
 綿陽市に3億元を拠出したのに対し、広元にはわずか3000万元のみ)
そのため、広元市は声を大きくあげて、
極重災区に指定してくれるよう要請すると、メディアで公開書簡を発表しました。
「上からなんと言われようとも、やむをえないことだ。
 ほんとに、自分たちの力ではどうにもならないからだ。」

そして、掲載後に数千の電話がかかってきて、
良い効果が上がったというらしいです。


以下は不完全ですが、四川テレビが伝えた被災地情報です。

■ブン川■
■テントは4万張が必要ですが、
 それに対して、今、7000張しか届いていません。
 このほか、電気、ガスの供給も回復できていません。
 食事を作るときには、薪を使っていて、エネルギー供給に困っているといいます。
 薬品に関しては、重傷者がすでに成都など大都市に移転したため、
 基本的には足りているが、環境を殺菌するための薬品が不足しているそうです。


■徳陽■

死亡1万5627人、生き埋め113人、行方不明2657人、救出者12477人
テントが不足している

……

テレビでは、何度も記者たちが言い直しをした言葉があります。
「“災民”たち、いや、“災区群衆”たちが…」という感じで。
どうやら「災民」という言葉が好ましくないようです。