鳥の巣で劉翔を+地震の記憶、まだ生々しい+女子アナまた涙

北京は19〜23度 晴れ、中度のモヤがある
四川の被災地は晴れのようです。しかし、近く雨が降る予報もあり、
テントの周りに排水溝を掘る作業を急いでいたようです。


■宝宝コンテンツ■

強力にお勧めの写真がご覧いただけます。
「宝宝」とは誰か、知りたい人はぜひクリックして見てください。
http://bbs.ganji.com/172-213865.html
http://dgbbs.soufun.com/2819089720~1~_258/61520736_61520736.htm
http://blog.sina.com.cn/s/blog_4b4944e201009k6z.html
(どれかが必ず開けるでしょう)

ちなみに、私は一番好きな写真はパンダと宝宝の組み合わせです(^^)


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■鳥の巣でのテスト大会、中国陸上オープン■
 


 
 五輪のメインスタジアム「国家体育場」(鳥の巣)で、昨日から5日間の日程で、テスト大会「GoodLuck Beijing」の「中国陸上オープン」が開幕されました。
 鳥の巣の中で開かれた試合としては、今回が初めてで、また、選手たちにとって、五輪開催前、この会場に慣らす最後のチャンスでもあるようです。
 ラッキーなことに、私もチケットが入手できました。念願の鳥人劉翔を一目で見てみるためが一番の目的です(ほかの方たちには申し訳ありません!!)
今日の試合で、劉翔選手は一度、ピストルが発する前に先に飛び出してしまったハプニングがありました。世界記録保持者もこのようなミスを起こすのですね。かえって安心したというか、ほほえましかったです。
 中国国内の選手ばかりかと思いましたが、日本を含めて、世界各地からも参加者もありました。四川の選手が出場する度に、会場内でほかの人以上の応援の歓声が大きな響き渡りました。
 初日の昨日の大会では、地震の死者を黙祷する儀式が行われたようです。



 そうそう、鳥の巣の中は幻想的空間!!!座席や壁などは黒と赤がメインの色で、京劇の隈取の世界を思い出させます。全体的にはとてもしまりがあり、着席した瞬間から、このまま、五輪の開会式が開催されるまで座らせてください、とお願いしたくなるほどです(^^)


 コンサートの会場としても最高ではないかなと思います。早くここでコンサートを見たいです。
 「玉に瑕」というのは(きっとテスト大会だからだと信じているが)、移動するにはたいへんな時間がかかったことです。中は広々としているのに、セキュリティチェックで長蛇の列ができて、流れが悪かったです。地下鉄の工事を急いでいる最中で、本番でこそこのようなことがないよう祈っています。


 雑談になりますが、劉翔選手は先日、被災地のファンの子どもに電話をかけ、怪我に負けずに頑張ってくださいと励ましたそうです↓
 http://japanese.cri.cn/151/2008/05/23/1@118826.htm

夜の水立方は様々な色に変身できます。現実感の薄い世界です。
しかし、遊び心に富んでいます♪




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■四川テレビ、女子アナは国際医療チームに涙■

 
 四川テレビの生放送はまだ頑張っています!ここのところ、ずっと全国視聴率ナンバーツーを維持しているようです(NO1はCCTVだそうです)。
私の好きな女子アナはまだいつも夜中に見られます。しかし、真昼間にも見える。一体に何時に休んでいるのかが、こっちが心配になるほどです。一週間ほど前に比べますと、お化粧の仕方がずいぶん簡単になり、そのせいもあるのでしょうか、どことなく、顔が違って見えてきます。もちろん、美しいことに変わりはありません。いつもブルーのブレザー、制服なのかと思うほどです。今日は中に着ていたキャミソールのラインはずっとななめのままで、肩も斜めのままに放送していました。
今日(24日朝1:50頃)も、生放送で、彼女は押さえ切れずに、涙を流しました。涙の反射で、顔が光っていました。今度は感動の涙のようでした。
アナウンスしていたのは、各医療チームの報道でした。真っ先に紹介したのは、日本の医療チームでした。沖縄での個人診療所の仕事を休んで、ボランティアに出た打出医師及び看護婦の方にマイクを向けました。これまで、医療チームは日本政府が派遣したものなので、政府所属の医師や看護師ばかりばかと思いましたが、参加者は全員、自分の仕事を休んで、ボランティアとして参加したのですね。5トンの薬品や医療設備を持参してやってきたこともしっかり伝えてあります。
言葉の問題や病院の勝手がまだ良く慣れていないこともあり、とりあえず華西病院の医師たちと一緒に仕事をしたり、補助的な作業をしているとかのようですが、皆さんの真剣な眼差しときびきびしている様子を見て、何故か言葉が通じなくても、とても安心して任せられる印象を強く受けました。
日本のほか、ロシア、イタリア、フランス、イギリスからも医療チームがすでに、もしくはまもなく到着する予定のようです。



地震直撃者:岩石が踊っていた!■
 


 地震の記憶がまだまだ生々しかったです。
 今日も四川テレビが生存者を取材した時、その語りにショックを受けました。30代の警察二人が北川の山中の鉱山へ定例の検査に入った時、地震が起きました。
「恐ろしかったです。生まれて初めて、岩石が踊っているのを見ました。大きな岩石が1メートルほど飛び上がって、私たちの目の前で踊っていました。」
二人は崩れつつある山中をくぐり、落ちてくる石を避けつつ、100人の鉱山の労働者を率いて、3日間歩き続けて、脱出しました。歩くうちに、人数が500人になったそうです。山崩れや落石の危険があるだけでなく、飲み物や食べ物がないという危機的な状況もあり、竹の葉や道端の草をむしって食べ、泥沼のそばに穴を掘り、上澄みの水を飲んでいたといいます。
 空からの救援物資は何度も崖の上に落ち、受け取るのに失敗したようで、苦労がありましたが、最後は無事受け取ることができ、500人が無事脱出できたそうです。

 
■21才の教師、生徒の救助に自らの命をささげる■ 

 
 向先生はおととし、師範学校を卒業したばかりの21歳。写真で見た感じ、小柄で、丸い顔。ちびまるこさんのようなかわいらしい方です。什ボウ市の龍居中心小学校で英語の教師をしています。向先生の机の上には、当日昼にチェックしていた生徒たちの英語の宿題ノートがそのままの形で積んでいます。しかし、向先生は倒壊した教室の下敷きになり、帰らぬ人となりました。
 10人の生徒を急いで教室から押し出した後、残りの最後の3人を救助するため、もう一度倒れる寸前の教室に戻りました。が、門をまたぐ直前に、教室が崩れました…
 レスキュー部隊が瓦礫を整理した時、目の前のシーンに心が揺さぶりました。
 若い女性は、手を広げて、三人の子どもの体を上からかばう形で、倒れていました。片足にはハイヒールが履いていたことから、大人の女性だと分かったと言います…
 「自分の身の安全しか考えていなければ、向先生はとっくに逃げられたのに…」
 助かった生徒は言います。
 四川テレビは向先生の家に向かい、父親を取材しました。父親も同じく英語の教師で、50代に達すか達さないかの若さでした。向さんの家は地震でそんなに被害はなかったようですが、唯一変わったところは、縁の下に出されていた黒い縁にはめられたお嬢さんの写真に、赤い布で包まれた骨つぼでした…
 父親は泣き崩れることなく、冷静に、淡々と一人娘との思い出を語っていました…
 旧正月十五夜に必ず二人でバイクに乗って、お祭りに行くとか、教師になってから、良く二人で教えるコツを話し合っていたとか…
 合掌


 今回の地震で、向先生のように献身的になって教え子たちを守った先生は、このほかにもたくさんいます。敬意を表し、なくなった方のご冥福を祈ります。


 「地震を通して、私たちの社会は、
  生徒を安心して任せる教師や、子どもの面倒を見てくれる近所、
  老人の大切にしてくれる地域の存在があることを知った。」(大意)
 これはある新聞の社説で書かれた内容でした。
 悲惨なことが続けて起きている中で、
 心を揺さぶる感動的な出来事は実はたくさんあったことを知りました。
社会の道徳レベルは思ったよりも健全しているというところに
大きな安堵を感じたと思う人も多いに違いないと思います。 



■四川テレビ、被災地の声■


四川テレビが電話で取材した各被災地の政府担当者の声、不完全ながら、ピックアップしてみました。
【広元市】
     死者4711人、怪我25000人余り
     本日、怪我した人のうち、300人ほど深せん、西安、広州などに移転した。
     今日の仕事の重点は防疫作業(消毒)でした。
     全市の464学校のうち、29校が再開しました。
【徳陽市】
     7トンの豚肉、20トンのハムを配布しました
     テント、緊急に20万張が必要。米も必要です



■ ブン川県城、かぼちゃのお粥で疲れを癒す■
 

 
 地震が起きてから、ブン川がしばらく通信と道路が寸断されたため、陸の離島になりましたが、後日、人々が思ったより被災がやや増しだったことが分かりました。
 そのせいもあり、ブン川の県の町がなかなか報道されていません。今日は久しぶりに、ブン川の様子が見られました。
 秩序は整然としていました。人の行き来もあり、街の大筋の様子が残っています。
ただし、「倒壊した家が多くはなかったですが、ほとんどの住宅に大きなひび割れがあるため、人が住める状態ではない」ようです。
 人々は野外で泊まり、やはりテントが不足しているようです。
地震後の復旧ができていないまま、市民たちは助け合いの精神で頑張っていることが分かるシーンがありました。
自宅にある米を出して、かぼちゃと一緒にこってりとしたおかゆを作り、それを無料で往来している市民たちに配る親子がいました。お茶碗まで自宅のものを持ち出して、きれいに洗ってあります。大きな鍋に湯気が立ち上り、おいしそうなお粥でした。
「消毒水の匂いが鼻につく街で、かぼちゃと一緒に湯でたお粥は格別に良い香りを漂わせてくれている」。記者がそう伝えていました。
「決して豊かな家ではないが、これまで、全国各地から数多くの支援を受けている。今度はせめて自分の家にあるもので皆に役立てればと思う。みな、地震でたいへんな思いをしたので、暖かいものでも食べてもらって疲れを癒せばと思う。」
せわしく動き回り、お粥を配っている親子がそう言いました。