新聞で読む大地震の百態

しばらくテレビばかり見ていた自分を反省しています。
何故ならば、新聞や活字を読むと、そこにはテレビでは伝えていない
もう一つの世界があったからです。


あるボランティアがブログで書いたように、
周りには、命の奇跡もなければ、ヒーローもいない、
ただ、あまりのショックで呆然とした表情になった人々、
食べ物不足を経たため、救援物資が来た時、
みなでいっせいに奪い合い、確かに数が保障されていることが分かると、
やっと秩序が元に戻った…


「南方週末」は陸の孤島になったブン川の「人性百態」の
ルポタージュを掲載していました。
テレビの映像では伝えることのできない深みと真実味がありました。
自分たちの自己救助に奮起し、みなに均等に食料を配分したた人もいれば、
自分が生き延びていくために、スーパーや売店の食べ物を奪い合う人、
地震場どろぼうする人、
村人に情報を知らせるため、避難所にたどり着く前に引き返して
危険を顧みずに来た道を戻った人、
そして、瓦礫の下で「助けて!私は○書記だ!!」と叫んだ官僚、
また、生徒の中にも、無口のまま、
救援隊が救助してくれるのを待っていた子もいれば、
「僕を先に助けてください!僕は勉強がよくできるし、
 助かったら、将来は解放軍の大学に入る」と
大きな声で、救援に来た解放軍に利口に対応した子も…


日本の防災体制の記事も良く見かけます。
新聞のほうは、テレビよりはずっと幅広く議論していますし、
深くまで掘り下げて物事を考えています。


印象に残った文章の要点を二、三、ピックアップしてみます。


■北京大教授 張千帆
 「地方民主:再建の本」


▲何故、劣悪な校舎がかくも多いのか。
地元の人々は税金の行方を決めることができていないからだ。
体制から原因を分析する必要がある。
▲地方予算は地元民が一緒に参加して制定すること。
選挙制度を完備させること。
 今回の地震で、地方官僚が救助作業でリーダーとして頑張っている
 報道を良く見かけるが、人民代表に関する報道はまったくみえない。
 危ない校舎がたくさんあることは、
 つまり、中国の地方民主体制の不備を露呈したことでもある。


中国社会科学院・周国平
「生きのびたなら、しっかりと生きていく」


「私はたまたま、ラッキーな生存者にすぎない。
 たまたま震源地のブン川は私の住んでいる町ではない。
 この災難を私は、たまたま、免れたに過ぎないのだ。


災難は私の身に降りかかる可能性だって、十分にある。
もしそうならば、私はそれを受け入れるしかない。
人間は大自然に養われている以上、大自然からの災難にも耐えなければならない。
生きている以上は、このような問題は抱えざるをえないのだ。
人間は自然に順応せざるを得ない。
もし死んだのは私ならば、それはそれで、これ以上言うことはない。
しかし、生き延びたならば、しっかりと生きていくことだ。
生き延びたことに、後ろめたさを感じる必要はない。
しかも、今は生きている人でも、
いずれ、いつかは死が訪れてくる。
生き延びることは、一時的なことに過ぎない。
この一時的な生き残りの中で、
私たちは死者をしのびながら、命を謳歌する歌を歌うのだ。」


哲学者の周さんの言葉は、心理的なカウンセリングとして
心の悩みを持っている人たちに読んでもらいたい。


こころのケアで現地に入ったボランティアが多いようですが、
人により、「心理治療法」も異なり、ケアを受ける側をかえって
混乱させてしまうことが起きているようです。
また、報道を読んだ限り、
様々な方が様々な先進的な治療法や方法で頑張りすぎている
という印象を受けざるを得ません。
それは、ケアをしてあげたい側にとっては、
心理的な満足感を得られるかもしれませんが。


ひょっとしたら、今は、周先生のような
素朴な言葉で声をかけてあげることが、
被災者の皆さんの一番の悩みの解消につながるかもしれません。


と言いながらも、私は現場にいないので、本当のことはどうなのでしょうか。


memo:
どうやら、四川テレビの24時間生放送体制は今日あたりから
一段落したようです。