爨底下村へ

日本からの来客の案内で、門頭溝区にある
古村落・爨底下村(Cuan Di Xia Cun)に行ってきました。

思ったよりも遠く、石景山からはさらに西へ80キロ走る。
お客さんは今年77歳、少年時代、北京で小学校、中学を計4年間過ごした方で、
重度の「北京病」患者でもあります。


驚いたことに、門頭溝に入ったばかりで、
三家店という村落を通った時、
「三家店ダムです」と紹介しますと、
意外な返事が返ってきました。


「来たことがあります。
 中学の時、西直門駅から列車に乗り、
 勤労奉仕でこの近くに来て、弾を作っていました」。


さてさて、話は現実に戻しましょう。
地震が起きた後、山間地帯に入るのが、今日は初めです。
条件反射的に、四川のことを思い出してしまいます。
むき出しになっている山肌を見ながら、
こんなところで、突然、岩石が踊りだして、
山崩れが起こると、助かることは絶対ないと思ったり、
村落ごとにぺしゃんこにつぶされ、
道路も寸断されたら、生きていく望みは絶対ないことを
改めて思っていました。
同行の仲間たちも同じ考えがあり、
地震を現場で体験していない人でも、
ここまで恐怖になるとは、初めて知りました。


実際に地震を体験した人にとっては、
どれだけ心の傷が深いのか、と思わず思ってしまいました。


先日、北京で会った神戸生まれの歌手・タイナカサチさんは、
阪神大震災の時は8歳。当時は、震災の一番ひどい区の隣にいたそうです。
「ドンと巨大な音が聞こえてきて、
 爆弾が投げられたようだった。
 今でも、東京で地震が起きたと聞くと、
 小さな地震でも、当時のことがすぐによみがえり、
 恐怖に思う」


大自然の前に、人間はまだまだ無力なことが多いです。
それにしても、久しぶりに都会を脱出してみますと、
もともと田舎に生まれ育った自分が、
大自然と野外に対して、「偽り」の親しみしか感じなくなったことに気づきました。
鉄筋コンクリートの世界に慣れすぎて、
人工的な建造物のないところに来ると、
何一つ自分ができないという悲しい現実があります。
都会では、ずっと静かなところにあこがれていたのに、
いざ、鳥のさえずりとセミの鳴き声しか聞こえない
静まり返る谷間に来ると、
「こんなに静かでいいの?」、と不安になってしまいます。
さらに、2時間の運転を経て、市内に戻ったとたん、
「戻ってきた!」と大きな安堵感を感じたことも不思議に思っています。
自称、田舎大好きな自分が、
悲しいことに、どっちつかずの都会人になってしまいました。。。