Everyone is NO1.〜車椅子テニス

北京は雨。

パラリンピックのほうが、より人間の求めるスポーツ本来の姿、
スポーツの本来の精神に近いのかな、とテレビを見る度にそう思っています。


メダル獲得よりも、国旗掲揚よりも、素直に人々が優勝した人のために
心からの声援を送り、心から喜ばしく思っています。
国籍はそれほど気にしてはいなく、
選手本人の努力、もしくは、目の見えない陸上選手の目になって、
一緒に助走しているトレーナーの努力ぶりに心から嬉しく思っているのです。
そして、その嬉しさが感動として、残ります。
その感動が大きな拍手になり、エコを響いたのです。



車椅子テニスの試合は、今日は雨のせいで、何度も試合を中止したりしていました。
そのため、試合そのものはほんの少ししか見えませんでした。
しかし、お陰様で、中国の選手たちとお話ができました。
何よりの財産だと思いました。
中国人選手たちは全部で4人です。


女子:董福利選手(唐山)
   胡丹丹選手
男子:李柏青選手(唐山)
   石艶平選手(徐州、21歳)


董選手は、ヒマラヤ登山でもしてきたような真っ黒に日焼けした顔。
1969年、唐山の生まれ、6歳の時、大地震で右足を失いました。
生まれつきの楽天派で、子どもの時がスポーツが大好き。
テニスを始めたのは、2000年頃のことだと聞いています。
アテネにも出場したようです。
周りにいて、サポートしてくれた日系の企業や関係者に
心から感謝しているようで、「彼らの協力と応援がなければ、
とっくにやめていたと思う」。
瞳まで微笑んでいる彼女は、周りのすべての人に感謝の気持ちでいっぱいのようです。
もちろん、いつも傍にいてくれた旦那さんのことも。
「家事から、子どもの世話まで、すべて彼が黙々とやってくれている。
 私はほとんど家にいないので」、といいます。

国の配慮で、唐山には個人専用のテニスコートがあり、
「今度遊びに来てくださいね」と誘われてしまいました!!
「行きます行きます」と、二つ返事で、とりあえずずうずうしく意思表明だけを先にしました。
いつか、ほんとに実現したいですね。


明日も試合があるようですが、
しかし、とてもリラックスした気分でいるようで、
感心しました。


■男子の石選手は1歳半で小児麻痺にかかったため、
 足が不自由になりました。
 6歳の時、地元の小児麻痺の患者のクラブに通い始めたことがきっかけで、
 様々なサークルに入りました。
 中でも、卓球の試合に参加したら、
 どんどん優勝できたので、そのまま、江蘇省のチームに入隊。
 05年から、パラリンピックに備えて、テニスを開始。
 (中国の車椅子テニスは04年頃からやっと本格的に始めたようです)


基本は車椅子、それもスポーツ用の車椅子(車輪が八の字になっている)を
動かす練習から始めました。
「健常者が走ることをトレーニングするのと同じように、
 車椅子は私たちの足です」。


試合の時、すばやく移動できるかどうかが、肝心のようです。
右手はラケットを持ちながら、車輪を動かすので、
タコがとくに多かったです。
「試合は2、3時間続く場合もしばしばあるので、かなり体力のかかるスポーツです」。


ダブルスの相棒の李選手とは、寝泊りも一緒で、相性が良くあいます。
李選手は10歳の時に、列車の事故に巻き込まれ、両足が切断され、
右手も親指と人差し指しか残っていません。
しかし、力強いサーブで、リズムの早いプレーを見せてくれました。


石選手は、「スポーツを始めてから、体が元気になり、自信も身につくことができた」、
と心からスポーツが好きだと言いました。


皆さん、今年の4月にも試合で、神戸に行ったようです。
これまでに、大阪、福岡なども試合で訪問し、
また、ヨーロッパなども試合で行っているようです。


同じくナショナルチームの選手だが、
今回は惜しくも、パラリンピックにエントリーできなかった
女子の王平選手(唐山、25歳)は、
チームメイトの応援に会場に来ました。
「自分の国で行う試合なのに、選抜におちてほんとに残念です。
 チームメートたちの健闘を祈っています。
 これからは、テニスの練習にも励むし、
 パソコンや色々なことを勉強したいです」と言いました。


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CCTVは、日本からの卓球の別所堀江選手のインタビューを放送しました。
61歳、少女のようなおしゃれをして、華やかに登場しました。
中国人娘のような三つ網に、付け睫毛。
お化粧もピンクが多く使い、パワーフルな感じです。


会う人に、リボンのついた「五円玉」を差し上げていました。
20年前の事故で足が切断されましたが、
朗らかな性格は変わっていないようです。
しっかりとしていて、見ていて安心感のあるプレーを見せました。
アテネに続いて、今回は2回目のパラリンピックのようですが、
成績は前回は一回しか勝たなかったですが、
今回はこれまで、すでに2回も勝ったようです。
男子の60歳のオーストリア選手と共に、
「またロンドンで会おうね」と約束したようです。


オリンピックでは普通に考えれば、無謀のような約束かもしれませんが、
それが普通に約束できるし、年に関係なく、
やる気のある人たちが参加できる試合で、
残酷と思えるほどの「もっと高く、もっと強く、もっと遠く」を求めるのではなく、
人間にやさしいところがある。
これも、パラリンピックが良いなと思っている理由の一つです。


ところで、別所選手にCCTVが特別、注目を寄せた理由には、
やはり、卓球の愛ちゃんの影響のようです。
「別所選手が北京に来る前に、福原選手と長い時間をかけて、
 おしゃべりをしていた」というナレーションで、
視聴者の別所選手に対する距離をぐっと縮めたと思います。
愛ちゃんって、やっぱりすごいです!!