【旅行記】唐山の旅(下)〜明るい人々

■お茶目なヤンコー踊り■

唐山は凄まじい大地震に見舞われたことがあるので、
重苦しい町ではないかと、行く前に、
根拠もなく勝手にそういうイメージを想像していました。
ところで、実際に行ってみると、
めちゃめちゃ明るくて、陽気な町でした。
ワハハハ、ガハハハの楽しいシーンばかりでした。



南方生まれの私から見ると、河北省にあるこの町は
意外にも、東北文化を強く受けているようです。
それは、たとえば、この町で流行っている
「東北大秧歌」(東北のヤンコー踊り)の迫力
を見ればすぐ分かるかと思います。


国慶節の朝、鳳凰山公園に秧歌(ヤンコー)踊りの
人たちが集まりました。
いつもは土日しか集まらないのですが、
今日は国慶節のための特別集合だそうです。



ヤンコー踊りは北京の公園や団地の空き地ででも、良く見かけます。
しかし、ここで見たヤンコー踊りの迫力に比べると、
子どもゲームに見えてしまいます。
男女がペアを組み、互いに目つきや動作で挑発しあい、
時には、仲良さそうに踊っていたほかのペアの中に入り込んで、
邪魔しに行ったりする、など、
若い男女の求愛ぶりを思わせるような軽妙で、
お茶目な踊り方をしていました。
それが、踊っている人はちっとも若くなく、
むしろ初老の方が多く、しかも、女装している人が多かったです。
だから、セクシーなダンスよりも、
コメディそのものを見ている感じで、おかしくて笑いたくなります。
踊る人も実に楽しそうに踊っていたし、
見ている人もゲラゲラ笑いながら、楽しんでいました。
それにしても、皆さんのど派手なお化粧、
傍若無人な感情表現、
言葉ではうまく伝えられない曖昧な目つき、
なんと言えず、面白おかしかったです。
私の生まれ育った安徽省の田舎では、素朴さと婉曲さを美としています。
だから、目の前の風景はまるで異文化です。


見物客も誰でも踊りたければ、一緒に踊れます。
この中に、プロ並みに、本当に上手な人もいました。
たとえば、こちらの男性です。
余りにも女らしい動きで、しなやかに踊っていました。
見ていて、悲鳴を上げたくなりました。
目つきから指の立て方まで、
そして、体の柔軟さに容姿の端正なこと。
まるで乙女のようです。


こちらのおばあちゃんともペアを組み、一緒に踊っていました。
しかし、まもなくして、おばあちゃんにお尻で、
踊る輪から押し出してしまい、
皆がまたどっと笑ってしまいました。



男性は汗びっしょりになって踊り続け、
皆を笑わせ続けていました。


「東北の遼寧省の生まれで、
 6、7才からヤンコーを踊り始めました。
 今年は38歳。
 十数年前からに唐山に住むようになり、
 今やレストランで働いています。」


そうこう話しているうちに、彼から当たり前のように、
自分のもっている赤い布切れと扇子が渡され、
「あんたも踊れよ!」と言ってきました。


「そ、それは、踊ってみたいですが、見てください。
 私の首には重たいカメラが二個もぶら下がっている。
 また次回にしますね」。何とか体裁よく断りました。


小さな観客も一緒に踊りだした。
    腰に縛られたフーワーの風船も一緒に踊っていました


ところで、ヤンコー踊りの人の中に、
普段着に素顔で、ユニークなダンスをしていたおばあちゃんがいました。
お芝居の中の孫悟空のような、
軽妙な表情と目の使い方をしていて、
相手役とのコンビも良く、心が惹かれました。

 


おばあちゃんはとてもおしゃべりな方で、
質問したら、何でも教えてくれました。
年は70を超えていて、意外にも
ヤンコー踊りを始めたのは半年前のことで、
目つきや動きはすべて自分で考えたものだといいます。


私が質問するまでもなく、おばあちゃんはひとりでにこう話しました。


「日常の暮らしに憂いがないから、
 こう楽しく踊るができるのですよ。
 ほんとに心から嬉しいと思って、
 あのようなお茶目な踊りを踊ったのですよ。」



ところで、おばあちゃんの「本業」は毽子です。
仲間数人と毎朝、毽子を蹴っています。
ヤンコー踊りに疲れたおばあちゃんは、今度は毽子に戻りました。
私たちも仲間に入らせてもらいました。
さっき、顔の表情を次から次へと変えて、
静かに踊っていたおばあちゃんは
今度はラップのダンサーになりました。


「ぱー!ぴゃあ!」
 これいけ!
 はい、下からとれ!
 ぱー!ぴゃあ!!
はよう蹴って!
 ぴゃあ、ぱー!…」


おばあちゃんは一刻も休むことなく、
蹴りながら、伴奏をしていました。
そして、20分ほど蹴って、
「では、お先に帰るね」と言い、
旋風のごとくきびすを返してその場を離れました。


鳳凰山公園で見たヤンコー踊りがこうして、
私の唐山に対する第一イメージとなりました。


[[[[■唐山で「寅さん」に邂逅■]]]]


祝日の唐山は、なかなか栄えていました。
町一番の商店街を通った時は、
携帯電話商戦は熾烈な競争を繰り広げていました。
各社とも自社製品のPRに頭を絞っていました。
東北の伝統的な“二人転”もいれば、
今風のストリートダンスもあり、
また看板を掲げて、時代祭りのようなパレードをしていたところも。


そして、ずっと歩いて抗震広場に出ると、
今度は「寅さん」に出会いました。
女性用の髪飾りを売りさばくため、熱弁を振るっていました。


「はい、皆さん、どうぞご覧くださいませ。
 このバンド一本で、28通りも髪型を作ることができますよ。
 寄って集まって、見てくだされ。
 1000回折っても切れない特殊材料で作っています。
 値段はたかが2元。
 あなたのイメージを変えることができます…」
  

舌が良く回り、手も良くまわる人でした。




手が休めず、マネキンの髪型を
次から次へと新しいスタイルに仕上げていきました。
しかも、本当に上手なこと。
試してみたい人が出てきた場合は、
すぐに、てきぱきとサンプルを作るのに応じていました。
なかなかの才能です。
聞けば、湖南省からの行商だと言ってくれました。
バナナの叩き売りではないですが、
聞けば聞くほど、「こりゃ、買わなきゃ損する」と
いう気持ちになります。
取り付かれたような魔力が放っていました。


結局、私が一本買い出したのをきっかけに、
最後は、仲間たち、計、8本も買ってしまいました。
私の髪はまだ短くて、このバンド、早く使えないかなと、
今から髪を伸ばそうとすら決めました。
湖南省の寅さん、なかなかの才能やのう!


さて、人口300万人を超えた唐山の町。
日本で言うと、百万人口の大都会ですが、
中国では中規模の都市です。
ところで、大都会のものと小さな町でしか見かけないものが
色々と融合しているところがとても面白かったです。
たとえば、町のど真ん中で見かけたこういう屋台です。




駆け足で唐山をまわりました。
祝日の唐山の町では、
小さなお子さんも、白髪の年配者も、
身障者も、さすらいの行商もたくさん見かけました。
色んな人が町に出かけて、この祝日を共に楽しんでいました。
生きることは、ここではたいへんリアリティのあることです。
悲しみがあり、喜びあり、頑張りがあり、不安があり、
そして、将来への期待もある。
生きることは、ここでは、ヤンコー踊りに着る衣装のように、
たいへん鮮やかな色彩があるようです。


1日夜、私たちは7時発の北京行き高速バスにのり、
9時頃に北京に戻りました。
高速バスは電気のつかない夜の大地をしばらく走っていました。
北京に入ったとたん、高速道路に高架橋を縁取る
ネオンのまばゆさに目が痛く感じました。
北京を出る前、当たり前だとばかり思っていた明るさでした…