農村

あれやこれやと明日収録する番組のネタを探しているうち、
こういう写真を見ました↓
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2008-10/07/content_16577946.htm


豊かさを手に入れて、何よりです。
しかし、私にとっての第一イメージは、
なんとも言えない不思議で、不自然な印象でした。


行ったことがなく、一枚の写真で印象を述べるというのは
頗る適切でないことを知っていながら、
画一的で、機械で植えつけられたような農家の集合の恐ろしさ。
無機質で、リアリティに欠ける…


せっかく「村」と呼ばれているので、
村らしく、流れるせせらぎがあり、大小様々な池があり、
祠があり、村人の喜怒哀楽を黙々と見つめている木々があり、
高さ、色、デザインがまちまちであるバラエティある民家があることを期待している。
決して、目の前に見えた「工業化時代の町」ではない。
田舎育ちの私だから、本能的に自分の生まれた育った村のことを
想像して述べただけでしょうか。


中国では、今日閉幕した三中全会で、
農村改革に関する重要な決議が行われたようです。
農村部の内需を刺激することで、目下の世界規模な金融不安を乗り越える
という大きな期待もあります。


夜、実家に電話しましたら、父が喜んでいました。
「おじが留守をした甲斐があった!」
8人兄弟の父には、都会に行かないで、
農村で留守をしている弟(末っ子)がいます。私のおじです。
おじの息子は大学を卒業して、今、省都合肥にいます。
おじ夫婦は92歳の祖母と一緒に、古い家に住んでいます。
私は春節のとき、年に一度行くようにしています。
この30年で、農村もたいへん、たいへん大きな変化が起きていますが、
おじの村が例外のようです。
それは、出稼ぎが増え、都会に引っ越した人が多数出たという意味では、
大きな変化が起きましたが、
村に残った人から見ると、村の外観はほとんど変わっていません。
うそではなく、私の子どもの時とちっとも変わった気配はありません。


おじの家だって、20数年前、
農村の暮らしに潤いが出てきたばかりの時に建てた小さな家のまま。
大通りからおじの家に入るまでには、
川の土手の上の細い土の道路を通らなければなりません。
雨や雪が降ると、土が泥んこになり、車の運転が恐ろしくなります。
みんな、都会での生活に希望を持っているため、
村の暮らしを諦めたかのようにすら見えました。
おじもいつか、一人息子の傍へ行って、
町で家を買って老後を過ごそうと考えているようです。
だから、ぼろい家のまま、我慢して、町で家が買えるよう
お金をためているようです。


「これで、道路が修繕してもらえそうで」、父は期待しています。


「請負制度は当初の期間は30年でしたが、
 きっとこれからは長期的なものに変えていくことだろう。
 農村でも田んぼを植える人が減っているので、
 おじは去年、ほかの家の耕作放棄した田んぼを植えていた。
 小作料の支払いは不要で、政府から作付けした分、
 補助金がもらえるので、良い政策だ」。


30年間、時間がフリーズしたおじの村。
これで、変貌が起こるのか。これからが楽しみです。
個人的に、農村の人は誰もが安心して
農村で暮らせるような時代になってほしいと心から祈っています。