四川の旅:漁子渓村の越冬準備

 漁子渓村は今、全部で259世帯、人口約750人。地震で43人が遭難し、9割の家屋が倒壊した。
 村の主な農産物はとうもろこしだ。野菜を作る世帯もいる。主食の米は市場からの購入に頼っている。地震前、村人の主な資金源は、出稼ぎによる収入だった。都江堰周辺の小型企業が主な出稼ぎ先だった。しかし、地震で企業が悉く破壊されたため、数多くの人が今、村に戻ってきたようだ。
 取材する時点まで、地震後の再建関連で、新たに仕事に就いた人は98人に達したそうだ。当分の生活に困らないが、安定した収入源が確保できず、住宅再建のための資金がまだ確保できないことが、村人の一番の悩みのようだ。
 
■村人・墓守の馬さん 
 馬さんは今年の年頭、茂県で調理師の仕事を見つかり、月収1200元だった。
 しかし、まだ5ヶ月ほどしか働いていない内、大地震が起きた。
 今、映秀鎮の配慮で、墓守の仕事に就いた。月収は550元。妻は野菜を作って、町へ売りに行く。月収は500〜600元ほど。三男家族と一緒に暮らしている。三男夫婦は地震で怪我をし、まだリハビリをしている最中。二人いる孫の末っ子(小学校5年生)も地震で帰らぬ人に。


 馬さんは政府の援助に満足を示しています。
 「政府とカウントパートの援助先からたいへん行き届いた援助をしてもらっています。冬に備え、綿入れ,綿ズボン、オーバー、靴はすべて支給してくれました。ただ、靴は質はあまりよくなかったので(スポーツシューズで、先っちょはすでにぽかんと開いているのを指指して)、おととい、再度、足のサイズを登録しました。
政府に色々良くしてくれました。地震後の最初の三ヶ月は一人毎月200元が支給され、米も一人一日当たり0.5キロ支給され、三ヶ月も支給してくれました。
 布団も配られました。一枚あたり、重さ4キロ以上もある大きな、暖かい布団なのです。
 今、来ているこの上着も寄付された衣服の中から選んだものです。
 当分、着るものや食べ物に困っていません。
 ただ、心配しているのは家の再建です。政府からの支援金は一世帯あたり2万元となっていますが、これはとても足りない金額です。」


■村の役場で聞く



配布物資と受領状況の掲示


 気象専門家は、被災地は、今年、この百年もっとも寒い冬になると予告しています。プレハブ住宅の村役所で、幹部たちはせっせと、一世帯ずつ越冬物資の準備状況及び配布の様子をチェックしていました。
 主な越冬物資には、防寒服(一世帯ごとにオーバーは1枚ずつ、うち、満60歳の男性と満55歳の女性は一人一枚支給される。また、村人全員にフリースの下着を1セットを配給。このほか、寄贈した綿入れや靴なども)、ルーフィング、ストーブ(一世帯ごとに1個ずつ。燃料として無煙石炭175キロも支給されている)などが含まれています。


村人李さんの家に装着したストーブ。北方の自家製暖房のようなもの。
薪を入れても良いらしい。
「食事を作りながら、部屋が暖まるとても便利なストーブだ」と李さんは言う


 村の姜永明会計は、越冬準備に向け、一番心配していることは食糧だといいます。
「大雪でも降り、道路が通じなくなると、食糧の供給が途絶えるので、各世帯に一人あたり50キロの食糧を貯蓄せようと促しています」。

 村は、来年10月までにプレハブ住宅での生活を終え、普通の住宅に引越せることを目標にしていますが、姜さんは「村の再建計画がまだ制定中なので、本格的な再建は計画が発表後になる」と言います。
 中国では、再建計画は地質専門家や都市計画の専門家も一緒に入り、行政(基本的に国)が手がけています。断層を避け、新たに村や町を計画し、しかも、しかるべき生業に従事させるだけの土地を有する。作業のたいへんさが想像できます。


 被災者たちにとって、マイホームの再建が一番の関心事項だったことを、漁子渓でも確認できました。