ヨコハマメリー、受け入れと向き合う力に感動

来週月から水まで、日本ドキュメンタリ映画6作品が
放映される映画交流会が北京で行われます。
一足先に、『ヨコハマメリー』を見させてもらいました。
http://www.youtube.com/watch?v=ap0s60g8Ks8


すごい作品でした!!!
たまねぎの皮を剥くのと同じように、
リアルさに接近しようとする凄まじい訴え力がありました。
私にとって、今まで見たことのない新鮮な描き方でした。
個人の歴史、地域の歴史、ひいては日本の戦後史は
こういう形でリアルに描写でき、かつ、見ごたえのある
作品が作れるのだと強く感心しました。
できることならば、瞬くもせずにぶっ通し92分見させてもらいたかったです。
避けず、逃げず、目をつぶさず、ただ、正直に自分たちの昔に向き合っていました。
登場人物には、「自分の気になる風景をカメラに収めたい」
と話した撮影家がいましたが、きっと監督の気持ちに通じた言葉だったに違いありません。


様々な人が登場して語り、様々なストーリーが聞けました。
メリーさんもシャンソン歌手の元次郎さんはメリーであり、元次郎であるが、
日本(人間と地域と歴史)の一部でもあります。
それを忘れはしないで、見捨てもせず、万象と平等な視線で見て、
接近しようとし、自分の一部として記録しようとする人がいる。
私にとって、異国にいる外国人の歴史ではあるが、
そうした姿勢に敬意を表します。

メリーさんのことを嫌って、避けて、幽霊のようだとか
不気味だと言う人も多かったが(この映画を見るまで、私も同じだった)、
やさしい気持ちで接して、助けてあげて、受け入れ、
慰める人もいました。


「生きるために仕方のないこと。誰が養ってくれる?」戦後を経て、
経済大国になり、豊かになった日本。
身を売って食糧を稼いだ人たちがいたことは、遠い昔のことになりました。


昔の栄え場は火事で突然消え、いまや跡も形もない駐車場になっています。
ハマのメリーも95年、突然街から姿を消しました。
時間の経過で、何かが忘れられてしまいます。
風景が変わるのと同じように、人間も消えていきます。
ヨコハマの町をさすらっていたメリーさんの生き方を美化する必要はないが、
彼女のことがいたことを忘れるか忘れないでいるのか、
人間に正直かそうでないかのことでもあります。


作り手の優しい気持ちがにじみ出ている良い映画です。
エンディングに、故郷(山村)の老人介護施設で、
本名で暮らしているメリーさんが映っていました。
初めて見た素顔のメリーさんでした。
カメラに向かって、元次郎さんと手を携えて、静かに微笑んでいました。
決して強引にマイクを向けることなく、
二人は幼稚園児のように、「では、園長のところ行こうね」と
しばらく立った後、背中を向け、レンズの遠方に消えて行きました。
そこからも、作り手の優しさを感じ、ちょっぴり感動しました…
カメラは暴力になってはならない。そうならなくても、
しっかりした作品が撮れるということのようです…