中国人にとっての飯島愛-2

「私は見たことがないんですけど。名前ぐらいは知っているだけです」
日本人の同僚Oさん(つばめと同年代の女性)が首をかしげました。
「別にそんなの聞いてもいないのに。
 どうして皆が真っ先にこういうのでしょうか」
飯島愛の死のことを若い男子の同僚たちと話をすると、
まっさきに帰ってきたのが、冒頭の反応だったそうです。


言い訳っぽくも聞こえますが、本当なのかもしれません。
見ていなくても、名前ぐらいは知っている人が多いというのは、
飯島愛が一種の文化的符号になっているからじゃないかと思います。
例えば、台湾伝来、大陸でも流行っていた流行歌に、
飯島愛と一緒に夕食した夢を見た…」という歌詞があるし、
知るルートはたくさんありました。
そういえば、今日、改めて飯島愛の若き頃の写真を見させてもらいましたが、
なんとなく、大昔、田舎の床屋や美容院の壁で見たことのあるような
イメージがしなくもありません…
公やメジャーのメディアではなかったですが、
中国人の日本イメージに飯島愛の印象が強く残っているようです。


その飯島愛の映画、つばめも残念ながら見たことがあります。
そのため、中国で一般的に皆がイメージする印象しか持っていませんでした。
そこで、Oさんとおしゃべりをしていて、
初めて分かったことは、飯島さんは日本では、
少なくとも彼女の同年代の女性の間では、タレントとして知られているということ。
Oさんの言う通り、「日本での捉え方と中国での捉え方が違うようです」。


しかし、何が何で、まだ30代半ばの人間が
一人ぼっちで高層マンションの最上階で死んだのか。
その死から数日後に遺体の放った異臭で
やっと周囲に気づかれたことの悲劇さ。
死んだ人が誰であろうかは関係なく、
そいう死に方で世を去ったことの理不尽さ、皆が思わないでしょうか。
人間にとって、死は誰もが免れられない、仕方のないことですが、
こんな死に方では寂しすぎる、また、冷たすぎると思います…


性は生が前提にしか体験できないもの。
それが、数知れないほどの男性に性的幻想を提供した人が、
このような別れ方で世を去ったとは、強烈過ぎます。
飯島愛の死に含まれた理不尽さに、
きっと多くの中国人青年が気づいたに違いありません。
だからこそ、ネットでの注目事件になったのではないでしょうか。


飯島愛の関連情報は、台湾や香港のメディア経由ですばやく大陸に伝わりました。
一部、自殺と報道していたところもあったため、
大陸のポータルウェブサイト網易が報道された12月24日中に
飯島愛自殺体亡」と題して特集を作りました。
http://ent.163.com/special/0003342C/fdazs.html


不運な人生で、愛する男たちに裏切られ、騙され、
また、見えない力に脅かされている。
恐怖と体調の不調の中で決して良い暮らしをしていなかった、
そういうイメージが強調されていました。
1930年代や40年代の上海で輝かしく活躍していたが、
世間の根も葉もないうわさや、生活の重荷に耐えられず、
若くして自殺してしまった女優を彷彿させます。
AV女優という中国では公で、軽蔑されるはずの職業に対する軽べつは
見られず、「かわいそう」の同情心がにじみ出ていた構成です。


今日あたり、飯島愛の死因について、「新京報」では、
「日本メディアの報道」、「親友の反応」などで
自殺でなかったかもしれないことを報道していました。


飯島愛の死が世界金融危機後の日本の社会を暗くしたと懸念している報道もありました。
【饭岛爱的离去让日本人联想到金融危机后的未来】
http://ent.tianjindaily.com.cn/content/2008-12/27/content_672123.htm

この記事の最後には、「愿她在天堂找到真爱吧」
(天国でこそTrue Loveが見つかるよう祈っている)とやさしく飯島さんの冥福を祈っていました。


また、「饭岛爱被人同情源于她的坦诚」
飯島愛、同情されたわけはの率直さにある)と題した記事も(中国新聞社配信)。
http://hlj.rednet.cn/c/2008/12/26/1673409.htm
記事では、飯島さんの率直さをもって、中国の格好だけをつけて、
表裏が一致していないアイドルへの批判までもしていました。


さらに、早いところでは、「女王飯島愛のバトンは誰に渡される」と題した記事も。
この前にあった飯島ファンのりさんの話を思い出しました。
飯島愛を偲ぶには、これから我ら中国は、自分たちの飯島愛を生まなくちゃならないと思う」。


飯島愛の死は、少なくとも中国のバーチャルの世界で、
人々の考えと自己表現を豊かにしたようです…