教習所物語〜同学たち:参謀長と総裁

教習所のカリキュラムに初めて「同学」が出来ました。
一対一の練習が終えると、4人一組の集中訓練が始まりました。


私と同じ車の仲間になったのは、
23歳の青年2人と30歳未満の山西省生まれの女性でした。
4人中、ダントツ最年長者がつばめです。
実は、何も4人中だけの話ではありません。
貼り出された同期の学生名簿は170人ほどありますが、
ざっと見ると、8割以上が“80后”(1980年代生まれ)です。
1989年生まれやら、1990年生まれという表示もちらほらと。
70年代、60年代生まれは明らかに希少種です。
くやしい、もっと早く来れば良かったのに…


■さて、4人中一番早くマスターしたのは、
23歳の西単生まれの北京青年。あだ名は「参謀長」。
温厚な人柄で、残りの人を暖かく応援してくれていました。
山西省の女性・張さんは物静かな人で、多くは語らず、
もくもくと練習しているタイプ。
旦那と二人で、北京で資源ごみ処理の仕事でもしているようで、
イカーを買ったばかりです。
つばめを除き、四人目の青年のMさん、これはすごい!!
身長高くはないが、がっちりした体格の持ち主。
丸い顔、細やかな白い肌にちょび髭。
髪は整髪剤できちんと整えてあり、黒い革靴はぴかぴか光るほど綺麗に磨いています。
腕には、輝く光が漏れてきそうなぎらぎら光っているブランドもの時計、
指にはプラチナ(かな?)の太い指輪。


「今、三つの会社の法人代表をしています」。
そう言って、ブルと黄色の名刺2枚を渡してくれました。
こういうところでは普通に名刺交換までしないのですが、
彼の意欲さにプッシュされ、ほかの3人も自己紹介せざるを得なくなりました。
Mさんは偶然に私と同じく安徽省の生まれ。
ハンドルを動かしながら、耳に入ったMさんの不完全なドラマを紹介します。


■Mさんの父親は内装工事の仕事をしており、
10年前に内装工事隊の仲間たちを連れて北京に出稼ぎにきました。
翌年、母親はMさんとMさんの妹を連れて上京。以来、家族4人は北京で定住。
14歳半で故郷から北京に来たMさん、その後、
学校には行かず、社会という大きな学校に入りました。


15歳半。Mさんは仕事につきました。


「不動産のビラを配る仕事でした。
 配られたビラを持参して住宅が購入された場合、
 契約金額の千分の3でマージョンが入ります。
 5ヶ月ビラを配り、全部で9万元を得ました」


Mさんは、「当時の不動産は売り手市場で、
買い手が殺到する時代」だったと振り返ります。
そして、北京の不動産価格はこの4年だけでも倍に上がり、
当時、家を購入した人は資産保持の面では大きな利益を受けたといいます。


16歳。Mさんは転職しました。
不動産物件の販売センターでセールスマンになりました。
「顔が幼かったから、この子の紹介なら、欺かれることなく、
 安心して聞き入れることができると信じてくれました。
 お陰で、業績が良かったです。」
収入は基本給+契約額のマージンからり、年収は20万元に上りました。


不動産セールスマンの仕事は、Mさんは一年半続けました。
その後、「備蓄金をすべてはたいて、全国各地で有名な師匠をおっかけて、
 様々な講義を受けました。
 2日間の集中講義が学費2〜3万元もかかるものを
 ずいぶんたくさん聞きました。
 勉強がとても大事です。勉強しないと、世の中の動きについていきません」
 

彼の師事する名師匠には、経営管理の専門家もいれば、風水や陰陽学の大師もいて、
中国人もいればアメリカ人もいます。 
 

19歳。Mさんは起業しました。
いくつかのビジネスを同時に立ち上げましたが、
その中の一つは「クレジットカードの代理申請」をする会社です。


「クレジットカードぐらいのものは、誰でも申請できる。
 どうしてそれがビジネスになれる。わけが分かりません」
私の疑問に彼は単純明快に答えました。
「普通の個人用クレジットカードは8000元しかキャッシングできせません。
 しかし、私なら10000万元の資金を貸してもらえる信頼度を持っています。
 私の会社が代理で申請するカードは50万元かそれ以上の限度で
 現金を動かすことができます。
 一枚申請が成功すれば、7000〜8000元の手数料が入ります。
 一月70〜80枚も代理しているので、今、そこの会社の部長クラスの人は
 月給7万元です」


普通に生活している世界では、絶対に出てこない桁違いの金額です。
しかし、それを平静に口に出してしまいます。
「リスクはありませんか?」
「ゼロです。代理手続きをする時、住宅などを担保にしていますので、
 もしも債務不履行になった場合、相手の担保物を売却すれば、
 一定の割合で私の会社にもお金が入ってきます」


本人曰く、この種の代理会社は北京で1000社以上あり、
設立の条件は登録資本金10万元に1000万の資産証明書が提供できることです。


「ピーターというアメリカ人の先生は、
 人のお金を使って、金儲けする方法を考えろうと教えてくださいました。
 自分の給料だけで豊かになることができない、と。
 お金を転がしているうちにどんどん価値を増やせる方法が大事です。
 私は色んな人と会って、金儲けのコツを議論することが好きです。」


彼はまた、アメリカの様子と中国の将来の姿に大胆にオーバーラップしてみました。
アメリカ人が将来入ってくるかもしれないお金を前もって
 消費に出してしまう。
 今の中国人はまだそこまではできません。
 一方、人々の見方は少しずつ変わっているので、ひょっとしたら、
 15年後の中国に今のアメリカのような金融危機が爆発するのかもしれません」


Mさんは時代の動きに対して、鋭い臭覚を持っています。
彼は経営のコツは、「その時その時、勢いのあるものを的確につかまえて、
 それに乗ること」にあると言い、「金融危機の影響なんて」と否定しました。


例えば、彼が今、乗っている「浪」は、国家の重点プロジェクトの一つである
農村の情報インフラ整備で、今、100人ほどの従業員を動因して、
農産品の電子商取引の場の整備にあたっているといいます。


春に新居を購入したばかりで、つい最近、
妻の父の免許でアウディA4の新車を購入したばかりのMさん。
フィクションのドラマのような話をから次から次へと語られました。
金儲けは本当に彼が話したように、
たやすくてリスクがないものなのか、真相が分かりません。
たた、弛まない金儲けの情熱に漲っていることが良く分かりました。


Mさんに関するエピソードをもう一つ。
教習所の教官は、車庫入れのコツを覚えやすくするため、
「車庫入れ奥の手」と一枚の紙にまとめました。
練習の時、教官は開口一番に「この奥の手、皆帰宅後、10回ずつ書き写してこいよ。
 もしも10回がたいへんならば、5回でも良いから」、と冗談半分、脅かし半分で話しました。
「それはないだろう」とその提案に、私の対応は
ぱっぱっとその紙切れをデジカメで撮影したことでした。
しかし、学生4人のうち、Mさんは唯一、
「かしこまりました。10回書き写してきます」と答えた人でした。
それが、翌朝、本当に書き写したノートを持ってきのです。
「2時間もかけて書き写しました。最後になると、さすがにくたびれてきました。
 しかし、お陰で、もう熟知していますよ。
 車を並ぶコツというのは、先生のおっしゃる通りのことをやることです」
勤勉さも彼のとりえであるに違いありせん。


ただし、情熱と勤勉さのほか、求めようとしているものは何か。
話が短かったこともあり、そこまで感じ取ることはありませんでした。
教習所に通う人の物語は、そっくりそのまま中国の今の縮図でもあるようです。