教習所物語〜坂道発進の謎+ドキュメンタリー映画『靖国』を見て

「ギアを1速から0速に戻して、手動ブレーキをかけると準備はOK。
 そして、トランスミッションを1速にして、
 左足で半クラッチにする。
 車の先頭が浮かび上がり、振動が伝わってくると、
 手動ブレーキを外す、となっているのですよね」
「そうね。後、アクセルを踏むのも忘れないでね」
「アクセル?、は、踏む必要ないのよね」
「じゃ、オートマだったのか」
「いいえ、マニュアルですけど」
「そしたら、踏まないと車が動けないじゃないの?」
「んん〜、ゆっくりだけど、ちゃんと動いていたよ」
「そしたらアクセルを踏まないと」
「いいえ、踏んでいなかった」
「おかしい、それだと車が動くはずがない...」
「けど、今日も練習してきたが、ほんとに踏んでいなかったよ」
「本当?そうなれば、車のシステムが違うとしか言いようがないね」 
  …

という感じで、日本人の同僚たちと坂道発進の手順をめぐり、
数日前から激しく意見が対立しました。


それが今日、「マジで?」と思った事を聞きました。
確かに、システムが違っていました。
市販の車だと、アクセルを踏まないと進まないが、
教習所は学ぶ人がマスターしやすくするため、
エンジンの回転速度をたいへん早く調整しなおしているようで、
アクセルを踏まなくても、動き出せるわけです。
アクセルの動作を入れると、エンストになりやすいから、
試験の時、合格できない人が増える恐れがあります。
不合格率が低いと、学校の名誉に傷つけるかもしれません…


先輩の受講者の話なので、果たしてどうなっているのか。
もし本当だとすれうば、やはり納得できません…


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靖国』は面白い映画でした。

一番良かったところは、様々な考えを持っている人のぶつかり合いを
克明に記録できたところじゃないかなと思います。
日本と言う社会の多元性と張力を感じました。
よくもそれだけ、多くの衝突と異なる声の並存を拾えました。例えば、

・境内でアメリカ国旗を掲げて、小泉氏の参拝を支援するアメリカ人を見ると、
 「サンキュー」という喜んだ日本人もいれば、
 「広島を忘れさせる気か。出て行け!やつに騙されるな」と怒った人も。
・報道でよく見かけた軍服行進。
 想像していたほどのものでもなく、Coseplayに近い感覚でした。
 体格も身長も不ぞろいの人たちが、
 調べのそろえていない寂しそうなラッパを吹いていた。
 
・「南京大虐殺慰安婦はでっち上げ。日本の名誉にかかわる冤罪だ」。
 極めて落ち着いた、魅力的な声をした男性が演説をしていました。
 演説者本人もたいへん知的で、落ち着いた雰囲気。
 すれ違うと、とても好感が持てそうな日本人。
 傍には、同じく落ち着いた、上品そうな服を着て、薄化粧をし、
 やさしさがにじみ出る中年女性がいて、
 「百人切りの冤罪を晴らし、でっちあげをやめよう」
 サインの募集キャンペーンに奔走していた。
 
・様々な人が頑張って活動している間に、台湾原住民や日本人の仏教信者による
 「祖霊を返せ」抗議が始まった。靖国側からは若手の神官が出てだけで、
 「今年も応じない」返事した。
 小競り合いになった。

・「戦争に反対だ!」と大声で叫んでいる声がまだ終わっていないうち、
 片方ではただちに、「賛成だ」という声が上がりました。
 興味深いシーンだった。
 良く似たシーンに、8・15に20万人参拝運動を起こそうと集会が開かれ、
 皆で国歌斉唱する時、「参拝反対、侵略戦争反対」と生粋な日本語で
 大きく抗議した男子が現れたところだった。
 国歌斉唱の時の大きな不調和音は慎太郎さんをはじめ、
 皆の耳に届いたに違いなかったが、合唱は続けいてた。
 すぐに、男性をおいやす人たちが現れ、
 「中国人は出て行け」と、男子は一歩一歩、
 会場に追い出され、殴られて、凄まじい鼻血が出た。
 殴られた後、男子は警察とカメラに向かって、
 「僕は日本人です。戦争でアジア各国で起こした罪にくらべたら、
 僕の怪我は何でもない。
 僕は犯罪者ではない。逮捕?そんな権利はない」と叫んだ。


・一方、右翼の街宣車によるひたすら、
 「あ〜〜〜〜〜」という騒音妨害のシーンがおかしくてたまらなかった。
 想像中の右翼のイメージも実際に見聞きしたイメージもあるが、
 そういうのばかりでなく、子どもがけんかする時のコツも、
 場合によっては活用されていたようだ。
 

ありのままのリアルに近い映像の視点というのがあります。
日本や靖国問題を映像で見ると、そこに文字や声だけで表せない
ありのままの表情が見られます。


■映画は今、靖国神社をめぐって起きた出来事と
 90歳の日本刀の鍛冶職人へのインタビューという二本の筋で構成されています。
 意図したいところはなんとなく分かる気もします。
 靖国を支えた精神の源を探そうとしていたのかもしれません。

 中国人がイメージしている日本人の尚武、残虐というイメージも
 あるかもしれませんが、最後の刀匠の詩吟に
 監督の表現したいことをこめていたのかもしれません。
 古語の造詣が薄い私は、詩の内容が正確に理解できていません。
 中国語字幕の間から漏れてきた漢字で推測していくと、
 「日本精神を汚されてはならない」ところがコアだったのかなと思います。
 言い換えれば、みだりに武力や殺戮で日本刀の輝きを失せてはならない、
 これこど本来の日本精神じゃないか、というメッセージでも伝えたかったのでしょうか。 


「日本人に靖国問題とはどのような問題なのかを
 映画を通して考えてもらいたい」。監督の言葉でした。


■90歳の刀匠は良くも中国人の監督を受け入れてくれました。
 そのプロセスをできればもっと知りたかったなと思いました。
 しかし、せっかく監督を受け入れてくれた刀匠は、
 監督との間に、交流がうまく取れないいじれったさがありました。
 もしかして、アプローチの手法や表現方法、話のかけ方などにより、
 もっと心中を聞かせてくれていたかなとも思いました。
 しかし、それとも、刀匠はわざと監督の聞こうとしたことを
 はぐらかそうとしたのでしょうか。
 せっかく良い着眼点に気づいて、そして、
 歴史の生き証人の心を知る入り口までたどり着いた
 監督は、とうとう、最後のハードルを乗り越えることに
 いたらなかった残念さは感じています。


 ただ、刀匠のシーンの中で、いつもは靖国軍刀を作る時の
 思いについて、多く語ろうとしなかったが、ある時、
 逆手にとって、監督に逆に聞きかえしました。
 「小泉さんの靖国参拝を、あなたはどう思うかね」。
 が、何故か、監督はその問いにレスはしていません。
 もし一言でも何か話せば、二人のその後の交流はどうなっていたのか、
 思わず、想像してしまいました。


一方、角度を変えれば、監督と刀匠の交流の効果は、
ある意味、中国(人)と日本(人)がこの問題で
スムーズにコミュニケートできない現状そのものでもあります。
象徴的な意味もあるかもれません。


ただし、それでもところどころ、刀匠の思いがピックアックできました。
例えば、参拝について、中国人の聞きなれたが、決して納得ができない
小泉式の発言をぽろっと話してくれました。
「ぼくは小泉さんと同じです。
 二度と戦争を起こしてはならない気持ちを込めています」

中国国内の正式上映は年内になるようです。
急いで内容を知りたかったので、2週間前に出回ったと言われている
海賊版でとりあえず見させてもらいました(対不起!)。
字幕がひどいことは、事前に聞きましたが、
見ると、うわさ通りのひどさでした。誤字脱字だけでなく、
肝心なところの意味がまるまる抜けていたりしていました。

ただでさえ、コミュニケーションがスムーズにとれない中日。
こうしたいい加減な字幕のお陰で、
少しは近づける可能性があったかもしれないところを
また一つ距離を遠くしてしまいました。


また、映像自身の力を生かそうとするところが、作品の個性の一つです。
蘊蓄をもたらせる良さがありますが、逆に、
見る人をその映像の情報の中に束縛してしまう
ハンディがあるかも知れません。
この点、文字メディアだと映像がなくても、記録さえ残っていれば、
来歴や経過をマクロ的に表現できます。

総じて言いますと、各種様々な力が元気良くぶつかり合い、
一生懸命自らの力を伸ばそうと頑張っている日本社会を
ダイナミックに直観できた、見ごたえがあった映画でした。