震災から一年〜4

被災地訪問や被災者との付き合いで感じたこと

 
以下は浅薄な、個人的な感想です。


 被災者と触れ合う時、どう付き合えばよいか、とても知りたいことだ。
 私自身もそれほど数多くの体験があるわけではないが、今まで触れ合った例では、
 一口に被災地、被災者と言っても、十把ひとからげに統一したイメージで見るのはどうかと思った。


被災地や被災者の事情はそれぞれ異なっているという認識が必要に思う。
家族や親族、知り合いに犠牲者がいる人とそうでない人、
子どもが運よく助かった人とそうでない人、
元々、経済力が豊かなところとそうでないところ、

  
  前向きな性格の人とそうでない人、
  進んで自分の体験を話したい人とそうでない人、
  笑いが好きな人と悲しみにふけるのが好きな人…


 千差万別だ。被災者だというと、彼らは毎日心が泣き続けていて、心のケアをしてあげなければならないという一つの印象でないはずだ。
 「地震なんて、もう忘れてしまったよ」、とにっこりと笑う映秀鎮の小学生もいた。
 地震の時の様子はもちろん覚えているが、ガレキの下敷きになり、無事救出されたまでの間のことは、もう覚えていないので、怖いとも思っていないということを言いたかったようだ。
 それよりも大事なのは、その子は今、毎日、充実した暮らしをしているかどうかということだ。勉強が面白いと言っていることを聞き、ほっとした。


 ちなみに、映秀鎮の住民に聞いた話で、印象に残ったことがある。
 「慰安公演は大歓迎。ただ、人を泣かすような歌、大地震を想起させる演出はやめてほしい。それよりも思いっきり笑わせるコントなど、どんどん演じてほしい」

 いつまで経っても、悲しみに沈んでいる被災者として見られたくはない、と自ら宣言したメッセージのように聞こえた。


 ちなみに、『新京報』が被災地で行ったアンケート調査(詳しい調査方法を明らかにしていないのが残念)に興味深い結果がある。
Q あなたは今、幸せだと思うか。
A 1)とても幸せだ 18.42%
 2)幸せか幸せでないかというよりは、普通に日常生活をしている 53.95%
 3)そんなに幸せでない  11.84%
 4)ちっとも幸せでない 15.79%


 大地震で深い心の傷を負った人もきっと数多くいると思うが、それよりも数として多いのは、やはり2)ではないかなと思う。これは、私が実際に人々と触れ合った時、受けた印象ともぴったり合っていた。
 大地震と言うと、悲しみ場面、感動的なストーリーばかりを強調しがちな傾向はないのか。
 個人的には、意図的に「感動」を求めるよりも、ありのままの現状に人々はもっと目を向けるべきだと思う。「感動」を期待せず、ありのままの、淡々とした日常に目を向ける。感動や喜怒哀楽は、その過程で自然と生まれてくるのに違いない。