神戸からの電話

夕方、突然、携帯電話が鳴りました。
見ると「00」発信の番号で、どうやら海外からのダイヤルのようです。
出たら、響きの良い東北訛りの女性の声でした。
聞きなれない声でした。
「人違い?」と思ったところ、すぐに私の名前が呼ばれました。


夏の旅で知り合った莫さんでした。
故郷の中国東北から、神戸の自宅に戻ったばかりのようです。


やあ〜〜〜写真届いた!!ありがとう!!!
 ほんとに送ってくれたね。
 夫も見た。ゲラゲラ笑ったよ…
 それにしても、ジャンプが高かくて、びっくりした!!」
という感じの会話でした。
相変わらずハイテンションの方でした♪


ジャンプとは、一緒に飛び上がったところを傍の人に
シャッターをお願いしてとった写真です。
「苦労が多いのよ」としか言わなかった彼女でしたが、
その時は大きい声を出して笑いこけていました。


莫さんは漢族ですが、延辺の生まれ。45歳。
舅さんは東北の日本残留孤児の方なので、十数年前に
彼女は夫、子どもと一緒に日本にやってきました。今は神戸在住


「一年間、毎晩、夜10時から朝5時までのバイトで、
 太陽を見たことがなかったわ」という彼女は、
2年に一度しか故郷に戻っていません。
その代わり、その時は一ヶ月ほど滞在するので、
その故郷での休暇が彼女にとって、人生の生きがいのようです。


バイトとはお弁当の詰め合わせの仕事。
一晩、紅しょうがを7000回載せるとかの凄まじく単調労働。
365日も休まずに働き続けたのは、
一つにまとまった休暇がほしい、もう一つは、
貯金の目標金額があり、それが実現できればもう働くことをやめて、
中国と日本を行き来して優雅に老後の生活を送りたいからだと言います。
けれども、会った時の彼女は疲労困憊の顔で、
「日本での生活はほんとに大変だよ」と連発しました。


青春時代は文革で、「勉強は無用」というスローガンを掲げ、
「先生と勇敢に戦った」と言う当時の若者のアイドルの影響で、
「勉強は世の中で一番役に立たないもの」と思って、
 中学、高校時代をむだに過ごしたといいます。


ところで、数年前、神戸の自宅で中国人向けの新聞紙を広げていたら、
なんと、当時の「アイドル」の顔がでかでかと写っていました。
その後、アイドルさんは猛勉強して、海外留学しに日本まで来て、
うんと、知識を身につけて、大学をも卒業したようです。
そして、今は知識人の編集者として仕事をしているとその時に初めて知りました。


「打ちのめされました。あの時のスローガンは何だったのか。
 あんなにたくさんの若者に影響を与えたのに、
 自分だけがこっそり勉強をしていた。
 すぐに彼女への手紙を書き出しました。
 『何故、あそこまでの捨て台詞まで言って、先生と戦っていたあなたなのに、
 自分でこっそり勉強をしだしたのか』、と彼女に聞いてみたい」。
けれども、途中まで書いて、その手紙を破ることにしました。
「彼女も海外で苦労している身。果たして、そこまで問い詰める必要があるだろうか」
と思い直したといいます。


莫さんはとにかくおしゃべりが好きでした。
日本で一年以上もたまったストレスを一気に解消したいためかのように、
ボワーーッと、洪水のように、聞かれたわけでもなく、自ら語りまくっていました。
しかし、苦労している割には、
よく聞けば、神戸での生活は比較的安定しているようです。
住宅は確保されているし、マイカーにも乗っている。
年金制度には加入しており、60を過ぎれば年金生活ができるようになる。
それなのに、ひどい不安のようです。
日本国内にはほとんど旅に出たことがなく、
周りの社会ともそれほどかかわりを持たずに、
とにかくひたすらバイトに明け暮れているようです。
手の親指が腱鞘炎になるほど、単調なバイトでしたが、
頑張り続けてきました。
どうして、そこまで苦労して生活しなければならないのかと
聞けば聞くほど不思議に思えます。


ところで、電話してくれた莫さんは休暇が終わったばかりだけあって、
すっかりリフレッシュができた様子でした。
写真はよっぽど嬉しかったようで、東北人特有の猛烈な勢いで話をしてくれました。


「ねえ、神戸にはぜひ遊びに来てね。
 今度、いつ来てくれるの?
 宿泊は我が家でいいから、ご馳走も作ってあげる。
 私の手料理はほんとにおいしいのよ。
 ねえ、日程は年末に来る?それとも桜の季節?
 年末ならイルミネーションがきれいよ。
 アラブからも見学客が来るぐらいよ。
 でも、やっぱり桜の季節かな。
 電話くれれば迎えに行くから。
 とにかく絶対来なきゃあかんのよ。
 会えるのを楽しみにしているから、
 とにかく遠慮しちゃだめだからね…」


またまた洪水の勢いでした。
本気で誘ってくれている気持ちがよく伝わりました。
ありがたく思っています。


やはり、東北は寒い土地柄だからなのか、
初対面の人もすぐに人懐こくなる、これが個性なのかな。
ひょっとしたら、他人の子どもでも
わだかまりなく受け入れて育て上げることができたのは、
こんな性格が土台なのではないかなと、まったく根拠もないことですが、
そう考えたりしています。


ところで、莫さんのバイトのほうは、
「首にされた。いや、されたというよりは、
ボスに連絡したらいきなり減給だと言われたので、
そんならやめるということになった。
まあ、年末までゆっくり体を休めたい。
仕事探しは来年頭からにする」。


少しは休むことができるようになった莫さんのようです。
良いことです。
今日のような元気満々の莫さん、
いつまでも続いてほしいと心からそう思っています。