「リービ英雄さん的」中国

氷点下11度〜氷点下4度の北京。乾燥しているせいか、体感温度がそんなに寒くはありません。

■大学院入試開始 140万人受験

 リービ英雄氏の講演を聞きに行くため、久しぶりに北京外大に戻りました。
 「大学院入試の受験生を歓迎する」と本館の屋根のすぐ下に赤い横断幕が掲げられていました。町中はもちろん、キャンパスの中もまだ雪が融けていない北京。そこで蘇ったのは1993年の冬。同じく、大雪の降っていた中、私は同じ寮に住んでいたもう一人の同級生と大学院入試のため、一緒に外大の招待所に泊まりました。
 たかが2〜3泊の短い滞在でしたが、今でもあの寒さが雪と共に蘇ります。一緒の部屋にはアメリカ留学が間近の年上の女性もいました。興奮を抑えきれないように、アメリカ行きについて私たちに語ってくれました。今はどうしているのでしょうか。
 私にとって一回目の大学院入試でしたが、総点数は合格したものの、残念ながら「政治」科目だけが不合格のため、ふがいなく落第しました。知らせを受けた時の挫折感は、大学四年生のいやな思い出の一つです。

 さて、当時は確か外大・日本学研究センターの入試を受けた学生100人ほどだったと覚えています。募集枠は20人なので、5人に1人が合格することになります。それが本日、母校の先生に聞いた話では、募集枠30人に対し、受験生は250人に達しているようです。ざっくり計算すれば、8.3人中に1人しか合格しない計算になります。競争がますます厳しくなったようです。

 ちなみに、報道では今年の大学院入試には140万人が参加し、最終的には46.5万人が合格するということ。受験生数は2001年以降の最多で、去年より13%増えたそうです。大学生の就職難が背景とされています。

■本日のびっくり写真!
 
 
 なんと一時期は大ヒットしていた「網絡紅人」(“ネット・アイドル”?)芙蓉姐姐が元気に頑張っているようです。新劇の主役になっているのでは。宣伝はまだ見ていないですが、タイトルは「唐の時代にだって 流星雨があったわよ」。いくら悪口を言われようとも、くじけることなく、元気に頑張ろうとしているところが変わっていないようで、いいんじゃないのかな。

■李維(Levi)英雄さんの講演会
 「現代の日本語文学の中で最も優れた作家の一人」と評されているリービ英雄さんの講演会、とても面白く聞かせてもらいました。リービさんの作品はまだ読むチャンスがありませんが、非母国語を使って創作活動をしている人って、心の中、頭の中はどうなっているのか、彼らは日ごろ、何に関心を持っているのか、何故日本語にこだわって創作するのか、色んなことが謎なので、興味津々で会場に向かいました。

 結果的に、謎が少しは解けましたが、何よりもリービさんのことを何も知らなかったからこそ、「偏見」(既成観念)を持たずに接していて、分かったことがあって良かったと思います。

 さて、教室に入った瞬間に感じたことは?
 それは、「奇妙」そのものでした。

 とにかく、神秘的なムードが漂っていました。人間の一人ひとりが皆一冊の本なのだとよくたとえられますが、リービさんはどのような本なのか、読みたくて教室に入ったものの、初めは読めなかった、というか、読ませてくれない不思議なムードでした。

 ただ、そのわけは単純なものでした。講演開始後に遅れて入場した私は教室のほぼ一番最後列に座っていました。ただでさえ目がくぼんでいるリービさんは、不思議なめがねをかけており、そのめがねを通してはどうしてもご本人の目が見えない。めがねをかけていることは見えるものの、ガラスの背後にあるその瞳がまったく見えない。
いくらこちらが目を瞬いて、大きく開けて見ようとしても見えなかったのです。

 それだけではありません。
 声だは良く響く。言葉の数も淀みなく流れてくる。流れる水の如く?というのは不適切で、噴水のように花火のように咲かせているものだった。多少外国人の訛りはあるものの、実に表現力が豊富で訴える力が強い。何故か時々、中国語も交ざっていた。「老外」の発音とは分かるものの、完璧な中国語でもある。けれども、顔は?亜麻色の髪の毛の色から、東洋の人でないことがすぐ分かる。かと言って、話す時の雰囲気やしぐさ、さらに、顔の筋肉の動かし方、口の形までが日本語で話す日本人そのものだった。そうかと思うと、時たま興奮のあまり立ち上がると、とたんに、漫画に良く出てきそうな西洋人らしい“暑ヮ鞦黶hが見えてくる。

 あ〜、目の前のこの人は確実に私の貧弱な頭のストックにはなかったジャンルの人と言える。目線が拾えないまま、鍋蓋のようにして頭を覆っている亜麻色の髪、口角に白い泡が立つほど喋り続けて表現し続けている情熱だけが、余計に不思議な空気をかもし出そうとしている。とにかく、リービさんの存在そのものに自分がびっくりしたと思う。

 だけど、人と言葉に関する様々なお話を面白く聞かせてもらいました。自らのことを「日本語人」と称していました。今回で50回目の訪中になるが、「最初は中国に興味はなかった」。1993年、ドイツに行く仕事の予定がドタキャンしたため、軽い気持ちで北京・上海8日間の旅をしましたが、北京では短時間では消化しきれなさそうな強烈な刺激を受け、中国に通いつめるきっかけになったと言います。ただし、上海に関しては、中国語で話かけてくれる人がいなくて刺激は受けられなかったと笑いました。

 「日本しか知らないで日本語で創作するのと、中国のことを知るようになってから書いたものとは大きな違いがあると感じた。それは表面には出ないことだが、それまでは日本と西洋しかなかった自分の世界にもう一つの柱ができた。自分がふた周り大きくなった。」

 「中国語と日本語は書き言葉でつながっている。日本語を勉強したこともない上、日本嫌いな中国人の友人が漢文で書かれた日本語を見て分かってしまう。そのことに友人はショックを受けたが、まさしく、いやでも身体的につながっている両国の仲の象徴的な出来事だった。世界においてもまれに見る二つの国の関係でもある。」

 長年暮らしていて「刺激が少なくなってきた」日本と対照的に、中国、正確には中国の田舎の魅力に魅了されたと言います。
「去年だけでも8回も中国に来た。」
 ちなみに、中国を体験する方法の一つはひたすら歩くことだそうです。
「中国に来ると毎日は10キロ歩いている。中国の地方や農村の魅力は近代との戦いをこの目でまだ見られるところにある。尤も、これらが体験できるのも、ここ十数年が最後のチャンスだろう」。

 阻むことのできない近代化の流れを危惧しているわけは、「表現者にとってこれから文学作品が書きにくくなっている。均一化が進むグローバリゼーションの結果、世界中の町が同じような感じになってきている。面白いことなら書けるが、『面白くなさ』をどう書けばよいか、これからの大きな課題になるだろう。」

 なるほど。うなずける。
 …私のとりとめもない質問に、今度はしっかりと瞳を向けてお話を聞かせてくれました。
 ところで、中国語も流暢なリービさん、中国語でこれから文章を書く可能性は?
 しばらくは思考停止になったかのように頭を抱えて悩んでいたようです。挙句に控えめにこう答えてくれました。
 「日本語とは16歳の時に出会ったから書けたが、中国語はもう遅すぎる。自分にはその能力がない。しかし、否定はしないでおこう」。
 そして、さらにこう付け加えました。「これからも東京にある8畳のタタミの部屋で、日本語で中国のことを書き続ける生活は続いていくと思う」。
 瞳が見えたとしても、リービさんはやはり「奇妙」な印象が付きまとっていました。
 今度こそ作品の中から不思議なリービさんの世界をのぞいてみたくなりました。