爆竹声声迎寅年 <ペンギンに『拉致』された人々>

 気温は-1℃〜3℃。安徽省の晴天はわずか二日しか続きませんでした。
 「雪がこんこん降っているよ。真っ白になった」。12時の時計が回り、「開門砲」と題する爆竹をあげるため、家の外に出た父は実況中継してくれました。
 今朝、外に出てたまっている雪を手ですくってみました。水分がたっぷり含まれている重たい雪でした。地面に落ちた時から、半分融けた状態。びしょびしょに濡れていますが、クリスマスのようなムードでの寅年の年明けになりました。




 ほかの地方のことはよく分からないが、安徽省のならわしでは、新年(15日間)は祖霊と一緒に過ごす祝日です。そのため、大晦日の「年夜飯」(一家団らんして食べる食事)の前に、祖霊を家に迎える儀式があります。
 家の玄関を開けたままにして、室外の空き地で線香と紙銭をもやす。きれいに燃やされたのを確認して(でないと、欠けたお金しか届かないと言われている)から、爆竹をあげる。先祖の霊は子孫が焚いた線香と爆竹の音で帰ってくると信じられています。
 今年も紙銭が燃やされた跡や、爆竹の炸裂で真っ赤になった地面が見られました。


 さて、年越しに欠かせず行っていることは何か?
 ・朝から夜中まで続くショートメッセージによる新年の挨拶の送受信、
 ・年夜飯
 ・CCTVの「春節の夕べ」を見る   ことが我が家の定番です。

 去年まで、ショートメッセージの送受信はほんとに苦痛でした。しかし、今年は一斉送信の機能がパワーアップされた新しい携帯端末のお陰で、一度では最大20個までの制限がなくなり、楽でした。
 「やれ、これで300人にほどメッセージを送ったかな」。時計が12時を回ろうとした時、兄は一大仕事を終えたように発表しました。
 私は何人送ったかな。携帯の通信簿に登録したほとんどすべての人に送信しました。同じぐらいの数になるかもしれません。


 ところで、意外なことかもしれませんが、年越しに欠かせない毎年の「年夜飯」は、私にはちょっとした「難関」のように思います。家族全員はお酒を飲みながら共にする数少ない食事会と言えます。中国では、お酒はただ自分で飲むものではなく、目上の人に敬意や感謝の気持ちを表すために飲むもの。そのため、普段は照れくさくてなかなか言えないような感謝や祝福の文言をこの時はしっかり言わなければならない。目上の人から若者への期待の言葉もこの時はしっかりと言われる。
 いい年をしてまだ自由わがままに暮らしている自分に、両親や兄夫婦から何が言われるのかが、もう予想できる通りでございます。兄たちは甥の口を借りて言わせたりとかの工夫もしていますが、一方の私もどうやって上手にかわすかで苦労しています(笑)。幸いというべきか、今年は肝心な言葉が発せられようとした時、タイミング良く親せきから電話が入りました。
 一方、年をとることは悩みばかりでもない。成長の喜びもある。自分はこの年でようやく年々、落ち着きが増してきたように思っています。また、何よりも甥の手にとって分かるほどの成長ぶりに驚きを感じています。
 甥は私が大学院を卒業した年、1999年生まれの小学校5年生。身長が伸びただけでなく、大人の説教にはもう負けない表現で反論できるようになっています。


 さて、その甥っ子ですが、この冬休みはオンラインゲームにはまっています。ゲームは1年前の冬休みもはまっていましたが、今年はそのはまる程度が違う。もう暇があればゲームのことしか考えていないようです。
 ただ、甥だけでなく姪も兄も従兄も従姉たちも、そして、母親の同僚たちも、それはそれはゲームにはまっている人の数の多いこと。せっかく年始回りで家まで来てくれたが、まもなくしてパソコンの前に集まり、互いの番号を交換したり、「仲良しリスト」に加えたりして忙しくしていました。
 ゲームの種類はいくつかありますが、中でも老若男女かかわらず、めちゃめちゃと言えるほどに流行っているゲームは「QQ農場」です。
 「QQ」とは、中国のIT企業が開発したインスタントメッセンジャー。イメージキャラクターは黒と金色のペンギンなので、ここで「ペンギン」と言うことにしよう。
 登録者数は3億人以上で、「3億人のチャットツール」がキャッチフレーズになっています。ピーク時の同時オンラインの人数は5000万人の記録があります。
 「ペンギン」はチャットだけでなく、大容量ファイルの伝送や写真の公開、ゲームなどの機能も充実していて、中国では圧倒的にシェアが大きいメッセンジャーです。
 その付属ゲームの中に「農場」テーマのものがあり、また、車の売り買いやパーキングをテーマにしたものが一番流行っています。
 いずれもバーチャルの行動をすることにより、バーチャルの貨幣を手に入れ、それでどんどんグレードをアップさせていくという内容です。
 「農場」では、自分の畑で野菜や草花を植えたり、または人の畑から犬に噛まれ、ポイントが引かれる危険を犯しながら盗んできたりする行動が繰り返されます。「貨幣」が多くなればなるほど、植える作物の選択肢も増え、またグレードも高くなっていく。
 「車」では、他人の車のパーキングスペースを移動させたりして金貨を稼ぐ。お金がたまると車の台数を増やすことができ、それでさらにパーキングの場所をたくさん取り、金貨を稼ぐ。
 「2ヶ月前からやり始めて、もう今は7台も車を持っているよ」。今日、遊びに来てくれた従姉は満足げな表情で「近況」を教えてくれました。どうやら、電気エンジニアの私の兄はこちらにはまっているようです。時間があれば、甥から奪うようにしてパソコンをとり、せわしそうに何台もある車の駐車スペースを移したりしていました。
 「いったい何台持っているの?」と聞いても、「QQもしないやつに教えても無駄だ」と一蹴されました。
 ただ、甥の話では、「パパはQQの登録番号は6つも申請している」?!
 番号が多ければ多いほど、互いにサポートし合えるから、メイン番号の昇進を助けることができるようです。 

 甥っ子は学期中では、週一回30分しかネットサーフィンできないことになっているが、冬休みで「規制緩和」してかなり「自由化」ができました。そのため、一分一秒も惜しむようにしてネット前にへばりついています。朝起きてから、真っ先にパソコンにとりかかろうとするほどになっています。


 「そんな単純なゲームのどこが面白い?」
 ゲーム音痴で、時の流れにすっかり「アウト」した人間になった私は、甥に聞いてみました。
 甥先生は真顔になって補講してくれました。
 「面白い?というか、時間つぶしだよ。ゲームの醍醐味?というか、『ロジック』というのは、作物を植えて金貨を手にいれる。お金が入ってこそ一段上のランクの作物を植えることができる。だから、何故一段上のランクの作物を植えたいかというと、それはもっとたくさんのお金を手に入れたいためさ。では、何故もっとたくさんのお金を手に入れたいかというと、それはもっと上のランクの作物を植えたいからだ。では、何故もっと…」

 もうどうどう巡りの世界…
 真顔の甥は自分も話しているうちに噴出してしまい、「だから言っただろう。しょせん時間つぶしなのさ」と冷静にまとめました。
 ゲームにはまっている甥はもう、なかなかの大人のようです。それにしても、リアルの中国の今とそっくりの世界のようで、嘆いてしまいました。


 ついでに、中1の従兄の娘の話。
 彼女の家にパソコンが置かれるようになったのは去年の夏でした。遊びに行くと、パソコンを上手そうに操作して、ネットアルバムにアップしたCCDカメラで撮った写真を開いて見せてくれました。ネットアルバムは言うまでもなく、例の「ペンギン」マークのソフトにアップしたものでした。
 「この子、パソコンが上手みたい」と関心して、しばらく話をしてみたら、意外なことが分かりました。
 もう彼女はすっかり「ペンギン」の虜。ペンギンの操作は苦労しないが、それ以外のパソコンやインターネットの基本操作や手入れの仕方など、ほとんど何も知りません。
 ネットサーフィンも、もっぱらペンギンのウィンドーを通し操作をしていたのです。あの広い広い海のようなインターネットでは、彼女はたった一隻しかない小船の「ペンギン」号にしか乗船したことがないようです。


 ここまで書くと、「ペンギン」そのものがまるで悪者扱いにされているようです。そう思われたら、ペンギンがかわいそうに思います。「ペンギン」はただのツール。ツールそのもののせいにしてはどうかと私も思います。野菜を植えたり盗んだりするゲーム、またはパーキングのゲームなどは、「ペンギン」の独創でもなく、似たようなゲームを提供しているサイトはほかにもあります。

 去年、夜勤の当直中、「野菜盗み」が気になり、「赤ちゃんの様子がおかしいです」と親から訴えられたにもかかわらず、手当てをおろそかにして、赤ちゃんが死んでしまった悲しい事件がありました。
 「職場では、若い衆たちは暇があれば、マウスをクリックして、手のような形で『偷菜』すると言ったりする。どこが面白のかな分からない」。
 まさか、今回実家に帰ると、インターネットのことがよく分からない母親からもそんなことが聞けるとは思いませんでした。世界的に大流行した新型インフルにはまだ顔負けとは思いますが、もう中国全土ではとっくに大流行したと言っても過言ないと思います。
 数億人が「野菜栽培や野菜盗み」に同時にはまっている?!
 どうして皆さん、そこまでして暇をつぶそうと思わなければならないのか。同じゲームにはまっている数億人の「精神状況」はどのようなものなのか。不思議に思って仕方がありません。
 ツールそのものが悪くないですが、ツールに人間が拉致されてしまった事態が良くないように思います。


 一方、人々の「精神状況」ではないですが、町の「状況」もどうもしっくり来ません。
 午後、兄の車に乗せてもらい、町の周辺を回ってみました。人口20万人もいない池州の町もここ数年、不動産ブームが沸き起こり、その変貌がよく分かりました。だけれども、外見も色も配列までも似通っている建物、なぜこんなにもずらりと建ち並ぶのでしょうか???
 「野菜を植える」ゲームとは関係ないと思いますが、どう見ても、これは人間が「建てた」住宅ではなく、「植えられた」家、それも機械で「植えた」家にしか見えません…
 「ペンギン」とは関係ないと思いますが、「果敢に」?「大胆に」?もこんな住宅とこんな町を作り出した人々こそ、何かに「拉致」されていないのか…
 リアルの世界とバーチャルの世界、もう境目がどんどん分かりづらくなりそうです。