広州の赤い屋根

数年ぶりに広州に来ました。11月からアジア大会が開かれる町です。
晴れやかな晴天に恵まれました。緑がうっそうとしていて、北方の町・北京とはさすがに違います。

前回来た時は「白雲空港」はまだ市内にありました。今回は空港が市内から30~40キロと言われている「花都」に引っ越しました。
飛行機が着陸したのは「花都」の中でも新館のほうで、タクシーの標識の分かりにくかったこと。
うろうろして探してやっと「バス・タクシー→」の看板が見られ、とりあえず「→」の方向に行きますと、まもなく「19番」出口に出ました。
エアポートバスは確かにたくさん停まっていました。
しかし、タクシーは一台も見当たりませんでした。
しかたがなく、もう一度ロビーに戻り、窓口で尋ねました。
「タクシーなら、9番出口からお乗りください」。ユニフォーム姿の若い女性が左の方向を指差しました。教えてくれた左に向かって、10のゲートを通り抜け、長い距離でした。やっと9番出口に出てきたと思ったら、配置の不思議なこと。
タクシー乗り場では、普通は出口に出てすぐのところから行列するはずですが、ここでは道を渡らなければなりません。
しかも、私のように左の方向から来た乗客にとって、どうしても行列の最先端に先についてしまいます。目の前にあるタクシーに乗りたかったのですが、「最後尾に行って待ってください」とこういう時に限って、守衛が姿を現しました。


広州の町は、新旧交代中というか、急ピッチできれいになっていく最中です。
北京も時々行われている外壁のお化粧直し工事です。
運転手は“穿衣带帽”(服を着せ、帽子をかぶせている)工事と言っていました。
「“面子工程”ですが、行政は数千億元も投資しているようです。道路に面している面しかやりませんけど」と運転手さんは言います。
赤い屋根付きの建物がとても多くて、きれいでした。
しかし、言われなければ気づかないことを運転手さんの案内で知りました。
「赤い屋根、瓦に見えたでしょう。あれって、すべてブリキですよ。」

運転手は30代後半。湖南出身。社会人になって、最初の仕事は地元の県スポーツ委員会の職員でした。10年前のことで、月給は千元にもなっていませんでした。3年ほどでやめて、広州に来て、タクシーのドライバーになったと言います。
今の月収は4000元ほど。しかし、ガソリン代が値上がりしているし、賃金は上がらず、会社に支払う費用(2人で1台を運転、全部で9000元あまり支払う)は減りません。「商売は昔ほど楽ではない」ようです。
お子さんは実家に残したままで、奥さんと二人で広州市内の“城中村”(元々は農村でしたが、町の拡大で都市部になったところ)で家賃500元/月、広さ30平米の家に住んでいます。

アジア大会ですか、たくさんの人が来てくれるので、ビジネスチャンスになるので、いいじゃないですか」。
残り4ヶ月を切ったものの、いまいち盛り上がりに欠けるアジア大会について、運転手さんは歓迎しているようです。

車は高速道路を安定したスピードで走り続け、高架橋の両側にはお化粧直し工事で斬新な姿になった建物、緑の網に包まれた足場の後ろに隠され、急ピッチで完成を目指している建物、亜熱帯のスコールに降られて、カビが生え、黒くなったコンクリート壁の昔風の建物。今の広州は町全体が、丁度、開演前の楽屋の状態。